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共創社会と暗黙知!

皆さん、おはようございます!
阿吽の呼吸という言葉があります。二人以上で一つの事をするときに気持ちが一致する微妙なタイミングを言います。家庭内では、生活を共にする家族との呼吸が成立しますが、企業社会ではそれが許されなくなっているところに問題があるのではないでしょうか。



私が好んで使う概念に「暗黙知」と「形式知」があります。
知識創造経営(=ナレッジマネジメント)の権威である一橋大学名誉教授 野中郁次郎先生が提唱する概念です。今の時代は、社会のあり方が形式知にばかり偏ってしまい、もっと個々人の内面にある暗黙知とのバランスをとって行かなければなりません。


暗黙知とは、経験や勘に基づく知識のことで、個人はこれを言葉にされていない状態でもっています。例えば、個人の技術やノウハウ、ものの見方や洞察が暗黙知に当てはまるります。個人がもつ知識には、言葉で表現できる部分と、言葉で表現できない部分とがあり、前者よりも後者のほうが多くを占めていると言われています。


これに対して形式知は、文章や図表、数式などによって説明・表現できる知識のこと。明示的知識とも呼ばれています。例えば、マニュアルは形式知を具体化したものの典型といえます。マニュアル化によって、業務を標準化することができたり、業務担当者が交代するときの引き継ぎがスムーズになるなどの効果が生まれると考えられています。


暗黙知は、人間が様々な環境との関わりの中で主体的に創る資源であり、そこには当事者の主観、信念、感性が存在します。こうした暗黙知と形式知の絶えざる相互作用が知識創造であり、デジタル時代だからこそ主観と客観、信念と理性、アートとサイエンスなどのバランスある知識観を回復していく必要があるとしています。


企業組織内部での知識創造プロセスは、①個人が他者との相互作用を通じて暗黙知を共創・共感する、②共有した暗黙知を言語として概念化する、③組織集団の形式知を体系化する、④組織集団での活動を通じて個人が暗黙知を体現する、という循環構造を持っていると説明できます。


現代の日本企業は過剰計画、過剰分析、過剰統治という3つの過剰が見られ、その根底には客観的で科学的な形式知のみが知識であるという偏った考えがあると言われています。
確かにいまの企業を見ていますと、組織も拡大する一方で専門分化されてしまい、硬直なピラミッド型のヒエラルキー組織となってしまっています。


その様な組織の中では、過去から積み上げてきた形式知のみで組織が運営されてしまいますので、非常にお役所的な官僚組織となってしまい、創造力の源泉である個人のアイディアや考え方は黙殺されてしまっていると言っても良いでしょう。オフィスでは私語も憚られる様な雰囲気の中で非常にストレスのたまる仕事を行っているのではないでしょうか。


まだ団塊世代が若かりし頃に現役で活躍をしていた時代の企業は、計画や分析や統治がファジーで個人の裁量に任されている部分が多かったので、充分に暗黙知を働かせる余地が大きかったものと思います。今は、MBAで教える科学的な経営手法、特にファイナンスによる経営事象の計数化(=分析)による判断をどこの企業でも採り入れています。


それ自体は悪いことではないのですが、個人の暗黙知を介在させずに科学的な経営手法(=形式知)のみで全ての事象を判断する風潮は、企業にとって新たなアイディアや考えが経営に反映されなくなってしまいます。これが、情報技術革新によりイノベーションしなければならない企業が抱える、大きな課題ということが出来るでしょう。


このことは教育問題にも当て嵌まると思います。いまの教育制度というものは、戦後の知識を暗記により詰め込む(=形式知)ことにより、知識に基づく判断力に長けた人材を大量に養成することを社会が求めたものです。個人の主観、感性、信念といったものが入り込む余地がありません。その様な知識は、これからは情報検索すれば足るものです。


企業も暗黙知の大切さに気付きはじめていると思います。働き方改革の一環で各地にサテライトオフィス(=コワーキングスペース)の設置をはじめていますが、そこで異業種交流が為されることに積極的な価値を見い出そうとしています。また、業界、競合関係の垣根を越えて企業間で連携を図ろうとする動きが少しずつ出て来ています。


この暗黙知に意味を認める動きは、企業のみならず地域社会でも採り入れて行くべきだと思います。いまの社会は企業を中心とする枠組みとなっており、地域でのコミュニティが希薄となっていることは誰しもが感じていることでしょう。暮しの中でも暗黙知を発揮できる、そんな共創社会になっていければと思います。


今日もありがとうございます!
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共創資本の社会へ!

皆さん、おはようございます!
いまの実体経済や金融経済は、科学により解き明かされた概念により理解されています。
その科学とは、それら経済の一側面を人間は合理的な行動をとるという前提の下、捉えているに過ぎません。私たちはもっと人間的な側面に目を向けなければいけないでしょう。



産業革命以降の近代工業社会は、資本主義と上手く組み合わさり世界の経済を急速に発展させたと言えます。規模の経済を追求する大量生産大量消費型の企業体制は、生産設備拡大の一途を辿り、巨額の資本を必要としたからです。やがて資本市場の整備も進み、1990年代後半には金融市場のグローバル化が完成したと言えるでしょう。


しかし、その間、日本においては1980年代には、実物経済に変調を来します。
それまでのモノをつくれば売れた時代から、社会の隅々にまでモノが行き渡った中での金融緩和政策によりバブル経済を惹き起しています。この時には既に、実物経済と金融経済が乖離をはじめていたということが出来ると思います。


バブル経済崩壊後は、失われた20年と言われたように、行き過ぎたバブルによる物価上昇を修正(=デフレ)するため、行き場を失った資本が海外へと向かいます。
超低金利に誘導された資本市場であるにも拘わらず、企業の設備投資や個人の消費は活発になることなく、現在に至っています。


資本市場のグローバル化とも相俟って、金融政策によっても実物経済が反応しなくなっているという意味においては、実物経済と金融経済が乖離しているということが出来ると思います。世の中にはモノが満ち溢れ、少子高齢化であるが為に人口も減少が予測され、経済成長を前提に物事を考えることが難しくなっています。


一方、金融経済は、本来、実物経済からの利潤を源泉に利子を享受すべきところですが、それが叶わない為にマネーゲームの様相を呈していると言っていいでしょう。
リーマンショックにより反省をするかに見えた金融経済ですが、資本それ自体が目的化してしまっているのが現在の姿ではないでしょうか。


実体経済を司る企業までが潤沢な内部留保を裏付けとして、ホールディングカンパニー制を採り、国内外のM&A戦略を強化し、まるで金融投資会社の様に振る舞っている姿を目にすることが多くなってきました。見た目には格好の良い経営戦略の様に見えますが、どれだけ付加価値を生み出す(=相互補完効果)のか疑わしき部分も多分にあります。


この様な状況がいつまでも続いていては、生活者は暮しの豊かさを実感できず、疲弊するばかりではないでしょうか。いまという時代は、長らく続いた資本主義経済の踊り場に差し掛かっているのではないかと思います。資本主義を突き詰めた結果、金融経済が突出する形となっていますので、是正していかねばならないでしょう。


この次の社会がどの様な形態になるのかは誰も答えを持ち合わせていないと思います。
今までは、一つの社会の枠組みの中で、人々が効率的に行動していれば良かったのですが、これからはその枠組み自体を考えて行かなければならない時に差し掛かっているのだと思います。効率よりも創造力が必要とされている理由がここにあります。


次なる社会を考える上での要点は、やはり人々の暮しが豊かになることを第一義に考える必要があると思います。今までは物質的な豊かさに重点が置かれていましたが、モノが満ち溢れている今日においては、やはり精神的な豊かさに目を向ける必要があると思います。自らの生き甲斐という様なものではないでしょうか。


その様な折に情報技術革新が進展しています。情報技術は、人間が今まで携わってきた定型的な反復作業を代替してくれるのみならず、シェアリングエコノミー(=共有経済)やMaas(=モビリティ・アズ・ア・サービス)の様に社会に今までなかった新たな仕組みを提供してくれ、私たちを様々な制約から解放してくれます。


どの様な場面で情報技術を活用して行くかを考えるのは私たちのアイディアや考え方次第だと思います。新たな豊かな暮らしを実現して行く為に、各々個々人が周囲の人々と交わりながら共感を得て行く必要があると思います。その様な中から新たなアイディア、考え、知識が創造され、結果として社会イノベーションに繋がるのではないでしょうか。


その意味では、少しばかり活力が失われてしまった実体経済ではありますが、情報技術と私たちの「共感に基づく創造力」により新たな社会の仕組みを作って行くことにより、改めて活力を取り戻すことが出来るでしょう。その時に行き過ぎた金融経済も、再度、持続可能な社会づくりのためにバランス良く循環するでしょう。


今日もありがとうございました!
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シェアリング・エコノミー!

皆さん、おはようございます!
新たな経済の枠組みは情報技術革新によりもたらされるものと思います。
縦割りとなった社会がシームレスに繋ぎあわされて行くばかりか、私たちのライフスタイルを大きく変えゆくでしょう。行き過ぎた金融経済に歯止めがかかることを期待します。



今の資本主義経済は、1980年代までの実物経済と金融経済が両輪となり互いに補完し合いながら経済成長を達成してきたメカニズムとは異なり、1990年代後半の金融自由化から金融経済のみが自らの利潤を追い求め自由にグローバルに資金が移動するようになっています。自由主義経済の帰結ということができると思います。


実物経済は、先進国内での市場が飽和しており、いずれもグローバル社会の名の下、新興国の市場を獲得すべく外へ向けた遠心力が高まるばかりです。滞留した資本が新たな利潤を獲得すべく一斉に新興国市場に流れ出ていますが、新興国においては過剰な設備投資となっており、いずれ調整局面を迎えるのではないでしょうか。


中長期的な視点でみれば、やはり中国経済の減速・バブル経済の崩壊を契機にリーマンショック以上の打撃を世界経済に与えるものと思われます。また、アジア諸国、アフリカ諸国の人口が爆発的に増加していますので、原油価格が高騰するトレンドは避けて通れませんので、資源を持たない日本経済への影響は多大だと思います。


資本主義経済は、新たなフロンティアを求めて外へ外へと資本が移動して行きますが、地球上のフロンティアは有限ですので、いずれその歩みが止まることになります。
現在の経済の動向を見ていますと、それを見越すかの様に資本主義経済の歪が現れ始めている様に見受けます。


2008年に起きたリーマンショックは記憶に新しいと思います。そもそもサブプライムローンがことの発端ですが、金融経済が米国の中産階層に必要以上の住宅購入を煽り、その過剰な住宅ローンの返済が滞ったが為に起きた金融危機です。日本でも地方銀行によるアパート建設資金の過剰な融資が問題となりはじめています。


これらは実物経済ではなく、経済の金融化により助長されていることが否めません。
過剰なまでのM&Aは、企業が金融経済の中で株価を上げ続けなければならないという宿命によるものと思います。毎年、継続的に利益を増やして行かなければならず、結果として一心不乱に規模の経済を追求していると言えるでしょう。


本来、手段であるはずの金融や資本が目的化してしまっている現在の経済に対して警鐘を鳴らす必要があるのではないでしょうか。人類の暮らしの豊かさを実現するために創り上げた資本主義社会が、それによって社会を不安定にし格差問題まで惹き起しています。実物経済が右肩上がりに成長している時には上手く機能してたはずです。


歴史を振り返ると、中世から近代へ移行する時にも同じ様な混迷を極める期間があり、産業革命を通じた社会の枠組みの変化を通して、資本主義社会が確立したと言えます。情報技術革新という時代の変革期を通じて、社会の枠組みが大きく変わろうとしています。今後の経済体制は、今までの延長で行くのか、それとも大きく変容するのでしょうか。


資本主義自体が失われることはありませんが、実物経済が変容することによりその内容を異にするのではないかと思います。やはり情報技術が人類の生活様式、行動パターンを大きく変容させると思います。一言で申しますと、共有経済(=シェアリングエコノミー)が一つのキーワードになる様に思います。


現在は、米Uberやメルカリなどのシェアリングビジネスが緒についたばかりですが、これからは企業が事業活動を行うにあたり本格的に共有経済を採り入れて来る様に思えてなりません。例えば、トヨタ自動車とソフトバンクグループの提携、三菱UFJ銀行と三井住友銀行の提携、KDDIと楽天の提携などです。


企業も事業活動を行うにあたり、今まででしたら必要な事業資源を全て自前主義で整え、競合他社に比べて優位なポジションを築こうというのが定石であったと思います。
しかし、情報技術革新により、これだけ生活者の意識も変わる中で新たなビジネスを切り拓かなければならない状況においては、企業単独ではリスクも高まります。


また、事業資源を共用した方がコストメリットも大きく、持続可能な社会を築き上げていく為にも不可欠であることに企業も気付きはじめたものと思います。どの位の時間を要するか分かりませんが、建設的な競争がある中でも互いに連携、協調、協働、調和しあう新たな経済の枠組みが情報技術革新によって到来するのではないでしょうか。


今日もありがとうございます!
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