私のパーパス!
皆さん、おはようございます!
ビジネスにも色々ありますが、ビジネスと暮らしの垣根を低くして、もっと暮らしの中にビジネスがあっても良いと思います。私たちが暮らして行く上で困ったこと、あったら便利だと思うことを地域のスモールビジネスとして解決して行く。そんな社会が望まれています。
正直言ってサラリーマン時代は、自身のコーポレートファイナンス(=企業財務)の専門性を高めることばかり考えており、人生の目的をどこに置くかということはあまり考えていませんでした。それが会社組織の中で糧を得て生き残っていくための術であったからであり、分業化著しい会社の中では事業の目的を考え自身の目的と重ね合わせる風土はありません。
特に私の場合、結果的に自らの専門性を高めることを目標に会社を移り変わってきた為、特定事業のオーソリティーという訳でもありません。まだ、特定の事業領域を持っていたなら
、その事業を通してどの様に社会に貢献して行くべきかを考える余地があったかもしれません。だから、40代半ばにして生きる目的を見失ってしまったのかもしれないと思います。
その後、自分の生きる目的探しを始めることになります。様々な分野の書籍を読み漁ったり
、セミナーや講演会に参加したり、少しずつ滲み出す様に社会勉強をしていました。サラリーマンである自分が本当に視野が狭いことをつくづく感じました。糧は得なければいけませんので、自らの専門性を拠り所にビジネスの本質を学ぶべくベンチャー企業で働いてます。
そんな経験を通して自問自答を繰り返したのは「働くということはどういうことか?」ということでした。糧を得る以外の何か?を探し求め、仕事を通して見聞を広げて行きます。そんな折にMaker’sというプロシューマー(=生産消費者)の存在を知り、身体の中に稲妻が落ちた様な感覚が走ったことが思い返されます。言葉に出来ない、飽くなき関心です。
会社組織がビジネスのあたり前とされる中で、そうでない世界が存在していることに、驚きにも似た関心を抱いたものです。自らの仕事の傍ら、彼らに会いに行ったり、先行する米国でのMaker’sの動向を調査したりしながら、彼らが活動するプラットフォームが存在し必要とされていることに気付きます。それが働くことの原点だと思うようになっています。
考えてもみれば、産業の近代化により会社組織という文明の利器が生み出される前までは、誰しもが多かれ少なかれプロシューマーとして働いていた訳です。それが、いつの間にか会社組織がなければ働けないという妄想を持つようになっています。プロシューマーとしての仕事が、人間として一番創造的であり成長できる幸せな働き方であると直観的に感じます。
単純にその様な時代に戻ることはないでしょうが、情報社会の到来で必ずしもビジネス規模が大きくなければ存在し得ない時代ではなくなっています。その様に考えを及ばせると、日本には数多の中小個人事業が存在する訳であり、彼らもその本質はプロシューマーだと言うことが出来ます。但し、彼らは自分たちがプロシューマーであることに気付いていません。
瓦解しつつある産業構造という大きな歯車の一部としての役割を担う意識では、もう遣って行ける時代ではありません。彼らこそ、今まで培って来た技術やノウハウを活かし、受け身でなく能動的にビジネスを創り出す必要があると考えますし、その可能性を秘めていると感じてます。必要なことは、そこに気付くことであり、その気付きを与えたいと思ってます。
今日もありがとうございます!
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