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将来が不透明な時代の心構え!

皆さん、おはようございます!
社会に出て初めて出会った信用金庫時代の同僚と焼き鳥を食べながら飲み明かしました。お互い還暦が近づいており、昔話に盛り上がりつつ、家族のことや老後をいかに働いて行くかなど。同じ多摩地域で生活するものとして、またどこかで一緒に仕事をする予感がします。



先行きがどの様になるかなんて、誰にも分からないものでしょう。ただデジタル化社会だからこそ、人々はヒューマンタッチなアナログな部分を希求している様にも感じます。それだけ時代は大きく変わり行く只中にあり、これまで拠り所としていた社会的な慣習は矛盾に満ちており、これからを生きる上であまり参考にならなくなっている様に思えてなりません。


その様な状況にある今日だからこそ、人々はどことなく将来に対して不安を感じているのではないでしょうか。これからの社会や自分の人生がどの様になって行くのか見通しが立たない中では、これまでの様に直線的に物事を捉え処世していくことが出来なくなります。それが、現在において「将来が不透明な時代」と人々の間で不安感を煽らせていると思います。


その様な時代を生きる私たちの心の拠り所をどこに置けば良いのでしょう。不安にばかり駆られていても委縮するだけであり、もっと明日に対して溌剌とした夢を抱いて行かないと、これからの社会がシュリンクしてしまいます。戦後焼け野原であった日本という国が、目覚ましい経済的、社会的発展を遂げて来れたのは、人々が明日に希望を持ってきたからです。


ただし、その時と現代では異なる点があることも見逃さず、冷静に受け止めるべきでしょう
。それは、戦後の日本は模倣すべき近代社会を築いた欧米諸国があったことであり、それを模倣していれば良かったことです。この模倣という「もの真似」文化は明治維新以降のたかだか約150年の間に身に付けたものであり、日本人のDNAにまで染みついていません。


江戸時代までの日本人は、あまり先々のことばかりに目を奪われず、その時々を自分の心の趣くまま楽しく暮らしていたのではないでしょうか。無論、現在と比較すれば、経済的にはそんなに裕福であったとは思えませんが、だからこそ日々の暮らしを少しでも明るく自然を慈しみ、その自然界に包摂されていることを実感しながら楽しもうとしていたのでしょう。


その様な元禄文化において、日本人ならではの様々な芸術作品が生み出されていることも、人々の暮らしにおいて自分自身の「心」に目が向いていたからだと思います。自分を幸せに感ずるかどうかは心の持ちようです。人間の意識は自然と自分自身の内面に向かうものでしょう。だからこそ、江戸時代は精神文明として栄えて行ったものと考えることが出来ます。


それに対してこれまでの現代社会は、自分自身の「心」のあり様以前に科学に裏付けられた経済発展に重きが置かれてきたが為に、その結果実現した社会の枠組みと「心」の幸福が乖離してしまっており、経済成長の鈍化と情報技術の発展と相まって、人々は現代社会に対して疑問を持ち始めているというのが現実でしょう。人々は「心」に目を向け始めています。


社会という人間の外側に幸福を求めるのでなく、自分の内側に幸福を求め始めています。それが人間として備わった自然な行動であり、その結果として人間として安らぎを覚えるからです。今という時代は、その様な文化が大きく変わり行く端境期にあると言えます。人々の内にある心のささやきに耳を傾け、それを表現していくことがこれからの社会を創ります。


今日もありがとうございます!
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