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これまでのこと!

皆さん、おはようございます!
数年前、近所に「倉敷珈琲店」ができ、気になっていたのですが訪れる機会がなく今日に至っています。ふと訪れてみると、高級感あふれるメニュー構成に対して内外装は安普請という印象を感じて、折角良い客層であるにも拘わらず勿体ないという印象が拭い去れません。



子どもの頃からまち歩きが好きで、よく一人で興味を惹く場所に行っては、そこで仕事をしているおじさんを掴まえては話しの相手をして貰ったものです。なんと言いますか、そうしてまちがどの様に成り立っているかを肌で掴んで行ったのでしょう。高校時代になりますと
、当然にして行動半径も格段に広がりますので日本全国を自転車で津々浦々駆け巡ります。


好奇心が旺盛なことも手伝って、幼心にも将来仕事を選ぶなら広い意味での観光業に携わりたいと思ったものです。街まちの少しでも多くの人々と異邦人が出会うことによって、互いが未知の気づきを得て成長していく姿に躍動感を覚えたものです。それが、持続可能な循環型まちの生態系であることに気付いたのは、それから数十年後になるとは思いもしません。


しかし、実際の就職で金融業を選んだのは、学生時代に希望する会社を高望みし過ぎたこともありますが、それでもまちに関わる仕事をしたいからです。地域金融機関である信用金庫に就職したことは、いま思えば自分の感性に従った究極の選択をしたものと我ながら感心しています。商店街や住宅街が連なるまちを具に一軒ずつ訪れる仕事は楽しくもありました。


一方、まちに関わるといっても多種多様であり、まちを構成する商業施設などの運営という選択肢もあったのでしょうが、それを選ばなかったのは経営という観点からまちを学びたいと考えたからです。銀行出身の父親が様々な事業を経営していたことを傍で見ていたからかもしれません。大学が心理学であったことから経営に苦手意識があったのかもしれません。


いわば、まちを育むことが人生の目標であり、経営というのは方法なんだと思います。バブル経済真っ盛りの時代的な背景の中で、その二つが交叉するところに憧れと希望を見出した時期があります。自転車操業的に不動産を開発するディベロッパーではなく都市開発やリゾート開発などを通してインキュベーションする仕事に思いを馳せても不思議はありません。


そのディベロッパーは百貨店系であった為、お客様である人間の心理にとても敏感なマインドを持っており、ハードウエアとソフトウエアのバランスを大切にしていました。その様な会社で事業計画や事業管理に携われたことは、経営を学ぶ意味で非常に大切な時間であったと思います。しかも、会社再建業務という普通なら経験の出来ない業務にも携われました。


ここで人生の転機が訪れていることも知らず、三十代半ばを過ぎたあたりで人生の目標を見失い、経営という方法を目的化してしまいます。確かにノウハウは数段も高まり、社内外の関係者をあっと言わせるような数々の実績を残すことが出来ましたが、自分の心は満たされていなかった様です。まちの形成に関わる案件に触れたときは正義感が揺り動かされます。


四十代以後は、経営として上り詰めることを考えていた為、紆余曲折のある最低の状況であったと思います。それが自分が経営者として自分の人生を描き出しながら会社を運営していかなければならなくなった頃から、自分に出来ること、自分の人生の振り返りを踏まえ、これからの目標を考えるようになり、改めてまちを育むことに自分の気持ちが馳せています。


今日もありがとうございます!
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