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心地よい街

皆さん、こんにちは!
毎日、夏日が続きますね!
そりゃ、そうですよね、季節は「夏」ですから。
梅雨が何処に行ってしまったのか気になりますが。


今朝、起きてから、なぜか「街」に関することが
3連発で頭に思い浮かびました。
そう思っていましたらTVでバリ島特集をやっているではないですか。
何れにも共通している「心地よい街」の姿があります。


私の若い時からの思いでで今も残っているのは、
少々泥臭いかもしれませんが、
隣の家で作っている夕飯が匂いでわかる、
長屋ではありませんがそれだけ向こう三軒両隣が密着した人間臭さです。


綺麗にいえばCafe'のコミュニティではありませんが、
地域の井戸端会議が地域の仕組みとして組み込まれ、
きちんと機能していたのではないでしょう。
まず、人の個性ある顔が見えるのが良いですよね。これが街の基本です。


その後、大手流通グループの不動産開発会社での経験ですが、
グループの総帥が百貨店は街であると言っていたのを思い出しました。
ここでの街の意味は、百貨店に行けば何でも必要な機能が揃っている。
それこそ非日常的な空間で一日いても飽きずに楽しい空間です。


一つエピソードがありまして、
実行部隊は郊外型百貨店を作るのに四角い巨大な箱を計画したらしいのですね。
そうしたらその総帥、顔を真っ赤にして激怒された様でして、計画建物の模型を叩き潰して散らばった個々の建物がご満悦の行く街を形づくっていたというものです。


また、私も百貨店、専門店、ホテルからなる大規模な複合施設開発に携わったことがあります。マーケティングの一環で、本当に方々の施設を見て回りました。
今でもその時の癖が抜けずに、新しく施設が開業すれば、
必ずと言って見に行きたくなりますね。


当事の上司である担当役員からも「ホテルこそ街である」ということを言われたことを思い出しました。確かに百貨店に比べますと、宿泊機能も整っていますので
衣食住全てが整っており、それをホテルマンというホストが街の安全で付加価値の高い運営に寄与している。そんなイメージを持ちました。


先の総帥の怒りではないですが、
ホテルも別に建物という箱の中に全てを修める必要はないな、
立地に応じてケースバイケースで地域内に必要機能が点在していてもいいなと
インスピレーションで思いまして上司に話しを向けたことを思いだしました。


最近の百貨店もGINZA SIXではありませんが、
あまり自主ブランドを前面に押し出して店内を統一ブランドで構成させることが
難しい時代かもしれません。消費者の個性が多様化している為、あまり百貨店という色が前面に出るよりも、入居テナントの個性の方が重要かもしれません。


ただ、それら入居テナントを無造作に建物内に配置するよりも、
フロアー毎に一定のテーマ性を持たせた方が
流れる様な統一コンセプトをによる関係性を醸成した方が
お客さまにとっては心地よいですね。


もしかしたらホテルもそうかもしれません。
最近の名門ホテルはホテルの顔が前面に出過ぎていて、
どちらかと言うと商業ゾーンは地味地味ですよね。
もう少しオープンに買い物だけを楽しみにくるお客さんがいらしても良いと思います。


それから、バリ島は行ったことがありませんが、
流石にリゾート地で行ってみたくなりますね。
リゾートホテルですので街と一体となっており、
様々なお店と融合することにより一つの地域を形成しています。


様々な商品を提供するお店があり、そのお店の建物の形状も区々である。
その中でも共通のコンセプトとして街並みの色でも良いし、
一昨日のリッツカールトンや東京ディズニーランドの様な共通のワンポイントのサービスがあると、お客様は大変に気持ち良く過ごすことができると思います。


いま、日本の人気商業地を見ていますと、
大きな箱型の大型商業施設が街を形成しているよりも、
吉祥寺や下北沢の様に昔ながらの街形成の過程で、
「自然」増殖的に拡張してきた街の方が活気もあり、楽しいですよね。


私は、その様な街の中に工場や会社があっても良いと思います。
むしろその方がリアルで面白いと思いませんか。
問題は、建物という壁で両隣との関係性が分断しないようにする必要があります。
それは街に対して、街に来る人に対して開かれている必要があると思います。


いつでも、誰とでも気軽に話しが出来る気軽さ。
これがコミュニティではないでしょうか。
それに対して、何も脈絡を持たずに無数の高層マンションばかりが立ち並ぶウオーターフロントは、今後、どの様になってしまうのでしょうか。


私はCafe'を様々な産業が集積した「街」として捉えてみたいと思います。
その為には各々の個人、法人の事業者がコミュニティであることが不可欠です。



山下 清 画伯

皆さん、こんにちは!
午前中、病院に行き先ほど帰って来ましたが、外はジトッと熱いですね。
昨夕の口腔外科での奥歯の抜歯も、
病院の先生方は骨を破らない様にするため時間も掛かり大変そうでした。


私も、事前の説明で流石に不安感が半分入り混じり心配でしたが、術中は痛みもなく、ただただ先生方が大変そうにしているのは見守るしかありませんでした。
日が明けた今日は、ちょっと縫い目がつる程度で、当初心配された腫れや痛みも全くなく、ただただ感謝感謝です。


今朝、新聞を徐に見ていましたら「山下清-わからないことを抱え続ける」という子見出しに目が留まりました。
皆さん、覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、テレビ番組で山下清画伯を主人公としたドラマ「裸の大将」がとても好きでした。


余談ですが「釣りバカ日誌」もこよなく好きですね。
両方のタッチに心底から笑えます。
世の中、この位の余裕があっても良いと思うのですが、
私が考える理想郷なのかもしれません。変に自分を取り繕うのが嫌いなんです。


山下清は貼り絵と短文章で有名ですが、
ドラマでもそうでしたが、その純朴さと無垢さで世に受け入れられています。
ところが、新聞では「それは、世の中のズレをしぶとく生きる人だった」と記載されており合点がいきました。


確かに、直接山下画伯にお会いした訳ではありませんので、
私のイメージはドラマそのものです。ドラマではドモリがあり、多少、失礼ながら精神的な障害があるのかと受け止めていました。でも、良くよく考えてみれば、日本を放浪していた若い時は兎も角、素晴らしい芸術作品を描く方がその様なことはないですよね。


芸術家とは、幅広く社会動向や社会の問題点を凝視して、
自らの精神哲学にまで突き詰めて誰にも迎合することのない、
自分なりの哲学を確立し、
アートとして表現して行く方々だと私なりに理解しています。


日本各地を放浪しながら、
世の中の矛盾の真相を考え抜いて来たのでしょう。
放浪癖が一段落した30歳代半ばから、日本各地での見聞が独自の言葉で綴られ始めているそうです。


例えば、挨拶をせずに帰るのを咎められたことに対しては、
「胸中では有難いと思っているが、挨拶は躾けられないと出来ない。
遣りつけないことを遣るのはぼくはとても恥ずかしい。」
という一文も残っているそうです。


確かに挨拶という慣習は社会化された言動の一つです。
だれも教えてくれる人がいなければ
心では有難く思っていても、確かに照れ恥ずかしいですね。
皆さんも、その様な思いを一度はしたことがあると思います。


更には、分からない事を分かった気になることも日々の生活の中にあります。
その際に、分からない事をそのまま抱え続ける方が、
その分からない事を思考し続けて行くことになるので、
厄介だとの解説もあります。


世の中を見渡しますと、
自然界の普遍的な最大公約数的な部分が学問として体系だてられ蓄積しています。
でも、その学問は自然科学、社会科学他を完全に解明している訳ではなく、
一部を紐解いたことに過ぎません。


にも拘わらず、人々は全てを理解したごとく、
いまの社会の仕組みを作り、運用しているところが不思議でなりません。
原子力発電を見ていれば分かります。
科学には99.9%掌握できても、0.1%というリスクもあります。


このリスクが引き金となって、全てが水の泡と帰すことも往々にしてあります。
でも科学は万能であると考えるのは人間の驕り以外に何ものでもありません。
人々は、もっと様々な疑問を前にして、直ぐに合理的に結論付けするのではなく、
その普遍的な問題について自問自答を繰り返すべきです。


私の好きな考え方に、人間と自然が対峙する姿を思い浮かべることがあります。
別に、山を切り崩して不動産開発をする訳では有りません。
経済の原点は、原始人と自然しかなかった時分から、自然の恵みを活用して暮らしの役に立てて来たところにあります。


何れ、独りではなくグループとして、独りで行うよりも高度なことが出来るようになる。
更には、技術革新により産業にまで至ります。
何て言いますか、この自然と対峙する考え方が今の社会には足りない様に思うのは私だけでしょうか。


ものごとの本質を踏まえず、
表面的なところだけで事の良し悪しを判断して対処したところで付け焼刃にしかなりません。砂上の楼閣です。
きちんと土台を組み上げませんと、いけませんね。


山下清画伯の記事を拝見し、
素の自分に向き合うことの大切さを改めて感じた次第です。
人にできることには限りがあります。皆さん各々が本当に大切にしていることを、
どの様な方法で自己表現しようと考えるのが人生なのでしょう。





TDLとリッツカールトンホテル

皆さん、こんにちは!


五反田で要件を1件終わらせ、
いまジョナサンでヘルシーランチを終わらせ書き始めたところです。
この後、夕方、歯大学病院の口腔外科で奥歯を抜きます。。ちょっと憂鬱。


このジョナサンの店員さんの対応を見ていますと、
店舗のオペレーションがマニュアル化されているせいか、
皆さん、身のこなしは似通ってますね。


ただ、お客様への対応は個人差があるせいか、
傍から見ていて気持ちの良い接客とちょっと言動の端々に棘があるといいますか、
もう少しにこやかにお願いしたいな~、という方もいらっしゃいます。


こういった接客業も費用対効果との兼ね合いもありますので、
必要最小限のサービスに留めざるを得ないのかな。。
と、自らを納得させたりしています。


皆さん、お客様の心をくすぐる最高のホスピタリティといったら、
どこに行った時を思い出されますか?
私が思い出すのはディズニーランドとリッツカールトンホテルです。


どちらの施設も、お客様のニーズを事前に察知して
お客様がその行動を起こす前にウオンツを働かせお客様のニーズを満たしてしまいます。サービスランクとしては最高峰ですね。


サービス業として、
お客様が希望を言っているのに応えてくれないは最悪で二度と利用しない。
希望を言えばそつなく応えてくれるは必要最低限の提供サービスでしょう。


私が驚いたのは、
その最高ランクのホスピタリティを持つ、東京ディズニーランドとリッツカールトンホテルでは決定的に異なる点があります。
前者はマニュアルがあり標準化されていることです。


東京ディズニーランドの社員研修が充実していることは、以前からテレビでも放映され知っている方も多いと思います。あれだけの人数の「ホスト」と呼ばれる社員のサービスレベルを維持して行くのは大変ではないでしょうか。


想像するに、お客様のモチベーションという多分に心理的な部分にまで、
動画や人間工学等を駆使してホストに理解してもらう手法を持っているものと思います。
もう一つは実際の現場で、仕事をしながら技量を高める仕組みがあるのではないでしょうか。


リッツカールトンはマニュアルはなく、
「クレド」というサービス精神に関する理念を徹底的にホテルマンに理解してもらい、
その範疇でプロとしての最高級のサービスを提供しています。


前者が科学的であるのに対して、後者はヒューマンリソースに負うアナログな方法です。
サービスを提供する状況に応じて、どちらの方が優れているかということになると思いますが、各々の施設とも理に叶っていると思います。


このサービスレベルというのはホテル固有の問題ではなく、
実はどの様な商売、それ以上に日々の暮らしの中でも必要なのではないでしょうか。
やはりウオンツを働かせられてお客様の先回りが出来れば気持ちがいいですよね。


出しゃばり過ぎず、かつ存在感がある。全ての人がその様なことを出来るかは別ですが、
このアナログと標準化をバランスよく採りいれることが、
商売成功の秘訣なのではないでしょうか。


さぁ、頑張ってこよっと!