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働き方改革

皆さん、おはようございます!
昨日からの雨も上がり、
今日の東京は薄日がさす曇り空ですが、
爽やかで過ごし易い一日となりそうですね。


昨晩は、中小企業診断士をはじめとする方々との懇親会で、
久しぶりにお酒を口にしました(本当は医者に止められているのですが。。)。
しばらくお酒を飲んでいないと味覚が落ちるといいますか、
何を飲んでも一緒の様な感じがします。


と、ある企業に勤めるエンジニアの診断士氏との話しの流れで、毎日仕事の残業で夜が遅く、終電で帰ることが多いとのこと。場合により土曜日、日曜日出勤も恒常化しているようです。私と同じ年代ですので、さぞかし体力的な負担が大きいだとうと話しを向ければ、やはり毎日寝不足があたり前だそうです。


そんなに景気が良く、業務が回らないほどお忙しいのかと思いきや、実は、そこまでの忙しさではなく、サービス残業的な意味合いが強いそうです。職場で働いている方々個々人はそこまで残業をしなくとも良いと思っていますが、組織集団となりますと、何故か残業をすることが同じ釜の飯を食べる者の合言葉になってしまっているようです。


もう一つの理由として、競合他社との兼ね合いで、お客様に対して過剰なサービス対応をしてしまうという問題があるようです。サービスの質は変わる訳ではないのですが、お客様からの問い合わせに対して、直ぐに応えるような職場での暗黙の了解があるので、結局は必要以上の仕事をしてしまうそうです。


先日、NHKの働き方改革特集で大手広告代理店の紹介がありましたが、広告代理店というご商売柄、やはり同じようなサービス意識による残業が恒常化しているとのことでした。それを解決すべく、お客様である企業に対してお問い合わせへの対応を見直す旨の申し合わせをしたようですが、お客様側は決してそこまでのサービスを求めてはいない。。


日本の企業の過剰労働の実態は、多かれ少なかれ同じ様な現象だと思います。
業界の雄として、どこまでのサービスレベルを追求するかという問題はありますが、
これからの社会では生産労働人口が間違いなく減少する訳ですので、サービスレベルとは申しましてもある一定の水準を保っていれば良いのではないでしょうか。


本当に訪れる人手不足に対して生産性を高めていかないと、
事業自体が行き詰ってしまいます。むしろ、生産性を高める為に残業をしている方が、
まだしも効率的な仕事をしていると言えるのではないでしょうか。また、本来は新商品を開発する等の付加価値の高い部分に時間を割くことが理想なのですが。


サービスというのは文字通り無償の場合が多いので、せめても有償化という概念が生まれてくれば良いのですが、ここらへんも日本の生産性が他国に比べて低い一因なのでしょう。日本人の気質なのか、職人技的に自らが作ったものに対して過剰な思い入れをしてしまうのは。ただし、その分、販売量が増える等の費用対効果は考える必要があるでしょう。


企業組織の場合、一度、制度や慣習としてはじめたことは、止める事がなくなります。日に日に制度も増えて行きますので、こなさなければならない業務量も日増しに増えて行ってしまいます。ここら辺も、特命部隊を組織内に設けて、敢えて業務の見直しをしていかないと留まることがなくなってしまいます。


本来は、社員間から自発的に自分たちの業務を見直そうという動きが出てきても良いと思います。しかし、日本の組織は古くから上意下達が続いており、どんないフランクにコミュニケーションが取れる組織とは言われても、そこまで闊達な企業組織というのは一握りなのではないでしょうか。


私は、日本の企業組織を悪く言うつもりはありませんが、一言で言いますと「日々の忙しさに感けた、創造しない組織」ではないかと思います。部門長も日々の業務に対してのみ良い悪いの判断をしますが、日々の業務を越えたところでの問題提議、判断をしているかといいますと、そうはなっていないと思います。


結局は、部門長も部下達も、また部門長の上席も、
実は日々の業務に追われているからっだと思います。
この10数年間に業務の情報化、効率化を進め、人員体制をかなり絞り込んだところにも原因があると思います。


生産労働人口が減少するなかで人員体制を増やすことにはならないと思いますが、
更なる生産効率を高め、その際に余剰となる要員ないし時間を創造的なことに費やす仕組みを作ってみたらどうでしょうか。仕事というのは、業務回しだけでなく、新たな価値を生み出す創造的なことも行わないと上手く機能しません。


それから、業務が忙しいせいか、オフィス内での部員同士の会話が減少しているとの話しも聞きます。きっと忙しさのあまり黙々と自らの業務に勤しんでいるのでしょう。
新たな知識というものは、話しをして情報共有をしながら新たな知識が積み上がっていくものです。その意味では、物理的にフリーアドレスを導入してみるのも方法かもしれませんね。


企業組織に関わらず、行政府でも、地域社会でも、そこの中で司る方々が自ら創意工夫しないと組織や体制というものは変わりません。
人間は不思議なもので、完成度が高い組織内や体制内に長年いますと、マシンの様に機械的な行動をしてしまいがちです。


その人間行動の特性を踏まえて、敢えて制度や慣習といった行動を規定するものを思い切り緩めてみては如何でしょうか。最初は戸惑いもあるかもしれませんが、裁量を持たせてもらえれば、いずれ人間は順応し自ら考えだしますので。




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北欧から学ぶ日本のDNA

皆さん、おはようございます!
いよいよ8月に入りました。。「盛夏!」ですね。
でも、何かものたりない。。燦々と降り注ぐ太陽に、湿気のある暑さ。。
夏といったら。そうだ、スイカとカブトムシとセミの声が子供時分の思い出ですね。


スイカは一玉2000円もしますし、
カブトムシを採取する雑木林もめっきり減ってしまいました。
せめてもセミの声くらい。。と、思うのですが、
集中豪雨のせいか、これも雑木林が減っているせいか風情の少ない夏だと思います。


皆さん、「Discover Japan」という月刊誌をご存知ですか?
先日、近くの図書館で「北欧はニッポンから学んでいた。」という見出しが目に留まり、思わず手にとって読んでみました。
いくつかのエッセンスをご紹介してみたいと思います。


北欧とニッポンの共通性は「神道」という精神的なところにもあるとのことです。
ラトビアではキリスト教以前から受け継がれた神道があり、最近になって神社を再築したとのことです。なんと、これが日本の建築様式(=写真を見て、本当に日本の神社かと思いました)とそっくりなんです。


ラトビアはたび重なる多民族支配を受けてきたそうです。元来、太陽神を中心として自然の恵みに神々が宿るとする農耕民族ならではの信仰を持っています。自然の恵みに神々が宿るという信仰心を持つのは日本だけかと思いましたが、これには正直に驚きました。改めて日本人は自然界と共生する精神を持つことを再認識した訳でもあります。


また、現在コペンハーゲンで「Learning from Japan展」を開催中とのことですが、大変に話題を呼んでいるそうです。デンマークは産業構造改革以降、この40年の間にデンマークデザインを確立する過程で、日本の美術工芸から大きな影響を受けているそうで、それを比較展示で紹介しているそうです。


例えば、浮世絵の技法から発達したテキスタイル。折り紙にヒントを得た「レ・クリント」の照明。そして、日本の提灯にヒントを得て生まれたペンダントランプ。。
日本建築の自然を借景として室内空間に取り込む技法もデンマークの建築家に大きな影響を与えているそうです。


確かフランク・ロイド・ライトをはじめとするアメリカの建築家も
日本の浮世絵や数寄屋造りに影響を受けています。
そしてアメリカでも、このフランク・ロイド・ライトの自然との調和を図った建築物が
見直されていると聞きます。


灯台下暗し、井の中の蛙ではありませんが、
日頃、都内の空間ばかりを見ていると無機質な高層ビル群に慣らされてしまいます。
個々の建物のデザインは美しいのですが、街並みとしては何か人間を寄せ付けない様な
怖さや殺伐とした感じを受けてしまうのは私だけでしょうか。


うむ、なんでしょう、これって?
我々は何か大切なことを見失っているのではないでしょうか。
本来、日本人のDNAとして脈々と受け継いできた何かを。。
機能性や効率性ばかりではなく心のゆとりや美意識を忘れて来たような気がします。


戦後GHQ進駐を境に、様々な価値観や制度をアメリカから輸入したと思います。モノのない時代から高度経済成長を経て物質的に豊かな時代を迎え、現在に至っています。国民が皆で力を合わせてきたからこそ、この豊かさを実現した訳ですが、モノが豊かになったいま、これから私達が何を拠り所として将来を描いて行くか考えて行かなければならないでしょうか。


時代が変わりつつあるなかで、未だ戦後の価値観や社会の仕組みの中で社会が運営されている様に感じますが、皆さんはいかがですか?
個人の暮らしが見直される中で、会社での働き方が課題として捉えられていますが、組織というのは人間が作りだした便宜的に効率性を高める枠組みにしか過ぎないと思います。


その組織の在り方が今の時代にそぐわなくなったのなら、それを変えるのも人間であるはずです。いま日本人が北欧文化に着目するのは、造船等重工業が基幹産業であった北欧諸国がこの40年で大きく産業構造を、個々人の暮らしや個々人のアイディアに基づく社会に変容させ、様々なデザイン製品やITビジネスを生み出しているところにあります。


その過程で、意識的無意識に関わらず、日本の文化や美術工芸品の影響を多少なりとも受けていたといいます。この間に随分と北欧のデザイナー達が日本の飛騨高山をはじめとする地域へ学びに来ていたそうです。その彼らが口を揃えて言うのは、日本の工芸家が極端に減少していることに危惧していることです。


冷静に考えてみますと、日本の人口も、行政機能も、資本も全てが都心部に偏ってしまっています。また、機能性、効率性、標準化を追求される中で、他に選択肢がないかのように、疑うことなく良い大学へ行き、良い会社に入社することを良しとした社会。盲目的な資本の論理が背景にあると思いますが、資本は利用するものであり、利用されてはいけないと思います。


どうしてもあの高層ビルで仕事をし、高いところから窓越しに街を見下ろしても、社外とのコミュニティが薄くなるせいか、何もインスピレーションが湧きません。これからの日本をデザインしていく為には、一人ひとりが感性を高めることが必要ではないでしょうか。一個人として歴史を踏まえて、未来を創造することが大切だと思います。







行政における財務上の課題

皆さん、おはようごいざいます!
今日は7月も最終日ですね。「夏」もあと1ヶ月、毎日が早すぎて気が付けば年賀状が発売される季節になりそうで怖いですね。日々、悔いを残さず、その日に為すべきことはその日のうちに終わらせようと思います。


最近、林業者や製材業者との関わり合いが増え、
それに伴い地域行政との関わりも増えています。
以前、不動産開発業務に携わっていた時には都市開発系の部署との許認可に関するやり取りが多かったのですが、今はどちらかといいますと補助金関係の話しが多いです。


補助金も、産業の置かれた事情からやむを得ない部分もあるのですが、出来る事なら民間事業者として、それを充にせずに自助努力で事業採算を合わせて行くべきですが、突発的な災害が生じて、急きょ山林に路網(=山林の樹木を搬出する為の道路です)を作らなければならないとか、地域産業振興の為に機械を購入しなければならない事情もあります。


ただし、それが余りにも頻繁に行われるようになりますと、民間事業者も補助金というお金の力には負かされてしまう部分もあり、無意識のうちに事業意欲が損なわれて行くこともあり得ると思います。行政サイドも地域振興というビジョンの下、民間事業者とは一線を画していることを建前としつつ、自らの方針に従わせたいという意識が働きます。


官民連携することは素晴らしいことであると思いますが、民間への補助事業や委託事業になりますと、兎角、それが許諾されるのに必要な条件が付与されてしまい、
その条件が満たされるまで事業が開始されず、
伸び伸びとなってしまうことが往々にしてあります。


民間事業者からすれば、なかなか自助努力だけで事業開始に漕ぎ着けず、
そこにたどり着くまでに経費負担の掛かる為すべきことが増えたりして、
労力の問題もあり、なかなか事業計画を建て難くなり、
結果的に徒労で終わることもないとは言えません。


また、いざ事業が始まると公的資金が継ぎ込まれるため、初期の計画通り地域振興に繋がっているかどうか民間事業者を牽制する必要も出てきますので、補助事業や委託事業を受ける事が本当に企業の為になるのかどうか充分に検討すべきだと思います。仮に受けるにしても、企業にとってココ一発の時に限るべきというのが私の考えです。


最近、経済誌のオンライン版に
「自治体が3セクで失敗を繰り返す3つの理由」なるものが掲載されていました。
実に3セクの40%は赤字で、残りの60%も行政から補てん金を受けているので実質赤字だと言われています。


これら3セクに共通しているのは、①総花的なバラ色の事業計画を組んでいること。
そして②地元での合意と行政の制度制約に縛られることが多くマーケットを無視せざるを得ないこと。最後に③計画書を作成するのは外注先で資金調達は役所任せで、失敗しても救済して貰えるという民間事業者には考えられない甘さがあることです。


私も、全く持って同じことを考えていた折でしたので、的を得ているなと思います。何れにも共通しているのは「計画の甘さ」です。外部アドバイザーを使うにしても、3セクという事業主体のトップに自ら責任を持って計画を立案するという気概がなければいけません。アドバイザーは実務的な支援をする立場であり、方針はトップが決めなければいけません。


きちんとトップが納得した事業計画がなければ、事業開始後の拠り所をどこに求めるのでしょう。事業実績と対比すべききちんとした事業計画があってはじめて、事業の課題や問題点が浮き彫りになり、その解決に向けた対策が打つことが出来る様になります。PDCAのPがなければDも、Cも、Aもありません。基本的な課題です。


どうしてこの様なことになるのか私なりに考えてみました。
多くの第3セクターというのは行政主導で設立され、運営されています。その行政である地方公共団体の会計、すなわち一般会計とか普通会計といわれる会計制度は「単式簿記、現金主義会計」だからだと思います。


単式簿記現金主義会計を簡単にご説明しますと、歳入と歳出という現金の収支計算書しかなく、また年度予算で収支管理をしている為、貸借対照表も損益計算書も持っていません。と言うことは、ある公共事業投資で建物を購入しても、単年度で支出して完結してしまいますので、良く期以降にその建物が儲かっているのか、損しているのか把握しようもありません。


それ以前に、貸借対照表がないのですから、管理する台帳はあっても財産として建物を管理していることにはなりません。この様な財務管理体制をとっているので、第3セクターで損益会計を導入していたとしても、行政側がその様になっていなければ上手く運営することは難しいでしょう。


どうして行政が単式簿記、現金主義会計を採っているのか、歴史を紐解いてみたくなります。複式簿記、損益主義会計の売上部分に相当するのが歳入である税収だからそぐわないと言われれば分からないこともありませんが、それは形式上売上を歳入と読み替え、複式簿記のシステムを利用すれば良いだけの話しです。


もう一つ、単式簿記、現金主義会計から派生する課題と思いますのが、予算主義です。
一度、貰った予算は使用する当てがなくとも、無理やり毎年貰い続けるという慣習ですね。民間事業でしたら、予算計上しても費わなくて済むなら費用が減る訳ですから費やさないですよね。


予算を議会承認を得なければいけないとはいっても、余りにも現実離れしていると思いませんか。今後、人口減少、少子高齢化が顕著になるのに、もっと機動的な行政施策を打てないと世の中の動きの速さについていけなくなります。そうでなくとも、新たな予算計上するのが大変なのは当たり前で、費やさなくとも済む予算は減らせば良いのではないでしょうか。


総務省が地方公共団体への努力義務として2018年までに新しい公会計制度の導入を促しています。これまでの会計制度に複式簿記・発生主義会計を導入し、貸借対照表と損益計算書も作成するというものです。ただし、努力義務で何処まで実効性があるのか、いささか疑問でもあります。


会計制度を変更するだけではなく、小さな効率の良い行政府を目指し、
時代の流れよりも早いビジョン、施策を打って頂くことに期待するを望むばかりです。