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憩いのサード・プレイス

皆さま、おはようございます!
今日もいい天気ですね。
そろそろ梅雨空も本番かと思いきや、
明日も真夏日になるようですね。


前々から気になっていましたCafe'ですが、
確かにスターバックスの様なチェーン店でも
たまに行くと凄く気分転換になる経験は皆さんもお持ちかと思います。
明るい笑顔の店員さん、心地よいBGMに、店内装飾は落ち着きます。


自宅でもなく、職場でもない、三番目の居住空間という意味で
サードプレイスと言うそうですが、
確かに自宅は自宅で日々の家事に追いたてられ、職場では立ち止まることのない仕事が積み上がるばかりで、そんな日常的な喧騒から切り離された自分だけの時間です。


ただ残念なのは、スタバ等のチェーン店に言って思うのは、
どこのスタバに行っても同じ店内装飾で同じメニューという具合に標準化されているためか、店員とお客様、お客様同士が気兼ねなく話しを出来るコミュニティ空間とはなっていません。独り静かに本を読んだり、一心不乱に勉強をしていたり。


Cafe'には、特にこれと言った標準化された型があるわけではないので、
それはそれで一つの型として良いものと思います。一方で私が見聞きしているCafe'の型として海外、特にフランス等に目をやると文化の震源地とも言える、脈々と時代の寵児達を育んできた積極的な「場」という側面もあるようです。


Cafe'に行く一人ひとりが、自発的に、気の合う仲間と、かしこまらずに、楽しく語らえる場所。毎日でも気軽に訪れたくなるような心地よい場所。仲間との関係がさらに深くなると、そこに居る人々の相互作用が生まれ、新たな活動が始まったりする、
地域のコミュニティスペースが基本にあるようです。


確かにコーヒーを出すお店ではなくても、一昔前なら家の近所のちょっとした赤提灯に帰宅前に寄り道し、向こう三軒両隣ご主人たちが趣味の話しで花が咲く、とか近所の奥様方が縁台に座り井戸端会議に講じてご主人の噂話をする、更には子供たちは地域の公民館で子供会に参加する光景を今は全く見なくなりましたが、これもCafe'と言えると思います。


フランスの有名なカフェでは必ず有名な画家や小説家が通い詰めているようです。
こういった地域の人間模様が織りなす界隈性の中から、地域文化というものが生まれて来るものなのですが、日本では高度経済成長を境に地方から都会に急激に人口が流入し、
大規模オフィス、新興住宅、新築マンションの開発に次ぐ開発で、コミュニティが消えうせてしまってます。


地方は地方で、極端な人口減少により過疎化が深刻となり、やはりコミュニティが成り立たなくなっています。コミュニティとは自発的な相互作用とでも言うのでしょうか、店員、お客様分け隔てなく、コミュニティにおける人間臭さの中から新たな発想が生まれて来るものと思いますが、そういう場が消失していることから改めてCafe'に注目が集まっているものです。


職場でも、効率性に次ぐ効率性で、精神的な遊びの部分がないと良い仕事は出来ないはずなのですが、情報技術がまずは職場での効率化に拍車を掛けてしまっていますが、
本来は情報技術によって働く人の仕事の時間に余裕が出来て、知識創造的な部分に時間を割くべきなのですが、実際には労務管理が厳しくなる一方です。


既に、私がCafe'と言っている意味をご理解いただけたかと思いますが、
①個々人が気兼ねなく集い、②そこに集まる人が分け隔てなく自由に会話を楽しむ、③それを手助けする為に少しの演出を備えたコミュニティ空間です。この④「場」において、新たな考えが発案され、新しいものが創られていく空間です。


一般的にCafe’と言いますと一定の地域の中に店舗として開設されますが、
例えば、会社のオフィスの中や、学校にだって出店することが必要なのではないでしょうか。駅も朝は殺伐としているのでCafe'のゆとりが欲しいものですね。確か、西国分寺駅の中央線下りホーム上にCafe'がありましたが、これは素晴らしいと思いました。


Cafe'を出店する地域や場所に応じて、店舗のコンセプトや内容を変えて行けば良いと思います。様々な企業が入居する高層オフィスに誰でも利用できるカフェテリア風のCafe'があったら、どれだけ企業の業績が伸びることでしょうか。そろそろ、コストを切り詰めることから、新たなコトを想像することに社会の舵を切るタイミングではないでしょうか!



文化を売るショッピングセンター

皆さん、こんにちは!
今日は午後から雨模様になるというので、日経朝刊5面にあった3つの面白い記事を気にしつつ、ガレージに一時的に置いていた廃材をゴミで捨てる為の解体作業を午前中のうちに終わらせました。


でも、のこぎり片手に汗を流したのが良かったのか、
身体を動かしつつ頭の中では3つの記事が時代の何を現わしているのか。
また、発想が飛び火して財務の論点のメカニズムはどの様に整理することが出来るのか等が紙芝居の様に小気味よく巡らすことが出来ました。これもCafe'というのでしょうか。。


まずはデザイナーで東京五輪組織委員を務めるのコシノジュンコ氏が、2020年の五輪は街を変える好機だと捉えていること。本来ショッピングセンターは、非日常的なコトが集積する感性とか文化を提供する施設で、そこに行き新たな発見を通じて教養を高める場である。


しかしながら、今はどこの商業施設に行っても同じ様な施設となっており、情報過多でオリジナリティが薄れているのは、ファッションに携わる方々が洋服のことばかりを考えて、広い範囲で感性を活かしていないからだ、とのご指摘。更には、みんな東京五輪までのことばかり考えて、その先のあるべき姿を考えていないとのこと。


確かに、百貨店等を見ていますと、当初は大都市の基幹店だけに巨艦を出店して、それなりの個性を競い合っていた様に思いますが、株式上場企業の宿命でしょうか、郊外にも店舗を出店する様になり、多店舗化の道に進みだすと運営を標準化したくなります。そこにデフレ経済が押し寄せたことが、床面積当たりの収益性ばかりを求めた今の結果だと思います。


そして、以前にもブログで触れさせて頂いた、日本郵政による野村不動産買収の件について、日本郵政側が買収を白紙撤回するとの記事です。理由としては、豪州大規模物流会社買収失敗の冷めやらぬ中で、商業立地不動を多く持つ日本郵政にとって、マンション分譲事業に強みを持つ野村不動産を買収しても効果が見込まれるか不透明なこと、それ以上に前回の新聞記事で野村不動産の株価が上昇していしまい、買収価格が上がってしまったらしい。


日本郵政の長門社長のコメントを拝見しますと、全国2万4千局という資産を活用する為に、買収で手っ取り早く効果を出す狙いもあったが、NTTグループの様に自前で開発力に磨きをかける手もあるので、もう少し資産活用の方法を検討するそうです。ネット販売の拡大で宅急便の伸びは高いが、郵便事業はこの10年余りに3割減っているらしい。


私は、日本郵政も株式を公開して得た資金を裏付けに、大型買収も目論んでいるのだろうと思いますが、前にも記載しましたように財務的な観点からしますと、株式市場よりも高い価格で買収しても、その買収価格を上回る利益を得るのは、野村不動産に日本郵政が持つ商業系不動産の開発で本当にコシノジュンコ氏が指摘するような文化性の高い商業施設を開発できるのか懐疑的です。


それよりも丸の内の東京中央郵便局で開発したKITTEの様な施設を自前で開発した方がノウハウの蓄積にもなりますし、財務としてのコストも低く抑えられると考えます。
ただ残念なのは、東京で一定の成功を収めたKITTEのスモール版を名古屋駅近に開発しても、地域性も違えば、歴史も異なりますので成功するものではないことが残念です。


昨日、Cafe’文化でも記載しましたが、商業施設というものはその地域特性や歴史性に根差したコミュニティ空間としての場でなければいけません。最近はアウトレットモールに行っても、どの地域のアウトレットモールも施設内に入ると何処へ行っても同じで、気味悪いです。本来、ショッピングセンターはその地域の中に溶け込んでいなければなりません。


そして、皆さまも既にご存知のことと思いますが、米アマゾンが生鮮食品市場の牙城を切り崩す為に高級スーパーを1兆5千億円で買収するというものです。
アマゾンも既に「アマゾン・フレッシュ」という生鮮品の当日宅配を始めているが、商品の管理ノウハウや食品の安全性や信頼性の観点からネット販売に限界があったようです。


確かに、日本で共働き家庭が増えている中で、生卵を不在で2~3日配達が遅れるなんてあり得ませんよね。生鮮品全般にそうじゃないですか。アマゾンでは、その辺を改善する為にもネットで注文して、最寄りのリアル店舗で買回り品の受け渡しを考え着いたようです。潜在とかなら兎も角、ネット販売にも取り扱える商品と扱えない商品がありますね。


では、別にネット販売業者が生鮮品を扱わなくても、よいのではという意見も出て来そうです。アマゾンからみれば全米で80兆円以上もある市場を見過ごす訳にはいきませんよね。もう一つ、私は思うのですが、書籍販売でスタートしたアマゾンのロングテール効果に着目したいと思います。ネット販売でOne to Oneマーケティングです。


これにより、例えば自費出版に近い発行部数の少ない書籍であっても、ネット販売であれば書籍情報を消費者に伝え、書籍を宅配で送り届けることは、リアル店舗では出来ない情報産業だから出来ることです。ということは、地域性の高いご当地生鮮品もこの仕組みを応用できるという強みがあります。


ただし、書籍と違い、食品ですから安全性や信頼性についての管理基準等の検討すべき課題は沢山あると思います。しかし、ドローンを個別配送に使用しようと実証している、それ以前に自ら物流の為にアマゾンのロゴが入ったジェット貨物機を飛ばすことのできる最強のインフラを持ち、この度、リアル店舗をも確保するので実現するのも真近でしょう。


日本の商業施設が自ら招いた行き過ぎた店舗標準化(=言いかえれば、地域性や文化性への配慮に欠けていた)による業績低迷において、アマゾンの様なオムニチャンネルによる地域性を踏まえた取扱商品の多様化が出来れば、現状の行き過ぎた標準化を是正することも可能ではないでしょうか。


日本人は勤勉なせいか、国民性も手伝って標準化、システム化を情報技術の取り入れながら「業務効率化」ばかりを進めて来ましたが、逆にそれが硬直的な組織体制を作り、新たなアイディアを取り入れることを排除する気風となりつつように思います。確実のブログでの、専門特化を進めるが故の、個人間、組織間の垣根が高まり、コミュニケーション不足が起きていることも同じです。もっと付加価値を生むことに情報技術を活用しなければならないと思います。


Cafe'文化ではないですが、もっと人間の本質的な遊びの部分に着目し、感性や文化を大事にする気風を育て上げて行かなければ、財務的にもコストダウンによるデフレ経済の中では株式を公開していいる意味がなくなってしまいます。その意味で、今日の日経朝刊の①コシノジュンコ氏の商業施設に対する指摘、②アマゾンの米高級スーパー買収、③日本郵政の野村不動産買収白紙化の本質的な部分は同じであると思います。

Cafe’文化

皆さん、こんにちは!
今日も素晴らしい天気でしたね。
私は午後から久しぶりに図書館に行き、あれもこれもと好奇心をそそられ
今しがた小脇に本を5冊抱えて帰って来ました。


午前中の病院の待ち時間に、
普段から気になっていたCafe'って、コーヒーを飲んでくつろぐだけではなく、
もっと積極的な「場所」としてどの様な意味があるのかネットサーフィンしていたら、
いくつかのブログや書籍紹介に出会った次第です。


先日もブルーボトルコーヒーについて記載しましたが、地域の人々が集う場としてのCafe’は、顔見知りの方々がくつろぎながら気楽に会話を楽しめる温もりのある空間であり、そのようなリラックスした会話により様々な知識や経験の交流が図られ、ある意味、情報が集まる実物的なメディアとも言えるのではないでしょうか。


今日、図書館で手に取った本も「Cafe’から時代は創られる」、「カフェがまちをつくる」というタイトルです。
私もCafe’に良く行きますが、気持ちが落ち着くので、何かものを考えるには良い場所ですよね。周囲の話し声も、適度な刺激となって頭がスムーズに動きます。


特に喫茶店という事業のノウハウを知りたかった訳ではないのですが、
まち中の人々が自然に振る舞うことができる機能として、
もう少しCafe’の本質的な意味を探求したうえで、
まちづくりの観点(ハード面およびソフト面)でヒントになるものがると感じています。


最近、オフィス空間でも、今までの企業の様に社員自らの座席を固定せずに、
お洒落なCafe’の様な室内装飾に椅子やテーブルをバランスよく配し、
朝会社に来た社員がその日の気分で好きな場所に座る「フリーアドレス」を多く見かける様になりました。


先日のCookPad等はフリーアドレスだけではなく、
フリーキッチンとでも言うのでしょうか、
社員が銘々、好きな時に好きなものを作れる大きなアイランド型のキッチンまで用意し、
社員の方々の創造力を掻き立てる自由空間を演出していました。


律義で几帳面な性格の日本人からしてみますと、
そんな不真面目な形で真剣に仕事が出来るのかよと思われてしまいそうですが、
シーンと静まり返った緊張感のあるオフィス空間よりも、
少しBGMを流すくらいの空間の方が脳科学的には創作活動に向いているそうです。


ただ、業務の性格上、同じチームのメンバーが密な連絡を取り合わなければいけない場合もありますので、業務特性に応じて一週間の決まった時間だけはメンバーの皆が顔を合わせて直接会話が出来るようにする等、独りでいる時間とメンバーが集う時間を使い分けて運用しているようです。


今までの部署毎に机を並べて顔を突き合わせて仕事をする以上に、
今まであまり会話をすることもなかった様な部署の人とも
気軽に会話がすることが出来る様になり、
かえって新しくコトを想像する業務では生産性が高まるそうです。


私の知人のいるオフィスレンタルの紹介をする不動産会社では、
オフィスの空間づくりまで提案をするところが増えているように感じます。
居心地の良い空間を提案する会社から、さらに深みのある企業のイメージアップや働く人のモチベーションまでアドバイスできる会社まで千差万別です。


昨夜、高校、大学時代の友達と3年振りに会った時ですが、
いまのご時世、部門間、会社間のセクショナリズムが強すぎて居心地が悪いという話に花が咲きました。確かに、働く人の知識レベルが高まるのと同時に、組織間の垣根が高まり逆にお家芸としていた日本の生産性が悪くなっているのではないでしょうか。


今日、通院しました大学病院も、非常に個々のホスピタリティは高いのですが、
たまたま保存科から口腔外科に変更となったのですが、同じ病院なのに、別の病院に転院する様な不自由さが感じました。それ以前に、この大学病院に通うことになるまでに幾つの街中の歯科を転々としたことか。。(笑


また、ニュースを見ていますといじめ問題があとを絶ちませんが、
このいじめ問題の根底にあるものは、
クラスや仲間の共通のコンセンサスから逸脱するものが排除されるところにあるようです。自分たちと異なるものは認めないという、個性を軽侮する集団心理です。


逆に見れば、排除する側のコミュニティの個々人も、
本当は個性を持っているはずなのですが、
その個性を表現したが故に、そのグループから排除されるのが怖いから、
更に仲間意識(=連帯意識)を強めてします悪循環もあるのでしょう。


本当は、企業社会がそうだから、その企業社会に最適な人材を養成する教育制度まで標準化された人材を輩出する個性を認めないシステムとなってしまい、
子供たちが過ごす学校までが居心地の悪いものとなっている、
これが本質ではないでしょうか。


これは日本の社会全体の仕組みが情報化社会という変革期の中で、
本来はお互いにフランクなコミュニティで交流しながら情報交換し新たなコトを生み出して行くべきところ、その情報の利用の仕方を間違えている為に、
自らと他人、自組織と他組織との距離を高めることになっている様に思います。


この様な人々の自由な暮らしの為にあるはずの社会の仕組みが、逆にそこで暮らす人々に疎外感を与えているところに危惧しています。私が、このブログを始めてから何度か、財務的な見地から知識創造力、今後の事業のあるべき姿の共通点として商品の機能ではなく消費者の共感性や温もりといった人間的な部分の必要性を綴って来ました。


今回のCafe’もそうですが、
人間として正しいコミュニティを育んでいくことが、これからの時代大切だと思います。
まちづくりとは言いましても、社会の仕組みとして地域に暮らす人々の笑顔が絶えないまちをどの様に創って行くべきか、Cafe'にそのヒントがある様に思えます。


Cafe’、財務実務、情報化社会、匠の技、言語に出来ない経験としての知識他、
全ての本質は同じところにあると思います。社会の全てのものは、人間と環境が対峙することに帰結します。「人」と「コミュニティ」という言葉の中に全ての解答があるのではないでしょうか。このテーマを掘り下げた気付きを綴って参りたいと思います。