誰にも聞けない経営財務戦略!

ビジネスの未来を財務と心で読み解くブログです!

CREATE LIFE!
より良い暮らしを創造しよう!

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心地よい豊かな社会!

皆さん、おはようございます!
人間は言葉にすることの出来ない潜在的な思いに従って行動することが多いと思います。それが言葉として顕在化されたときに、自分に気付き思考として定着させ成長することが出来ます。それは暗黙知を形式知化させるプロセスと同じであり正しく創造活動なのでしょう。



持続可能社会といいますと、Co2排出量削減や希少資源再利用などに目が向きがちですが
、いまの社会システムを温存させたまま対処療法的にそれを実現しようとしても、システムが歪んでしまい他の問題を併発させることになるのではないでしょうか。自然環境との共生ではありませんが、元々、人間は自然循環メカニズムに包摂される存在であったはずです。


産業革命以降の規模の経済を追求する資本社会が、その自然循環メカニズムを破壊しようとしていることは明らかであり、人間の底知れない物欲がその根底に横たわっています。しかし、最近の人々を見まわしますと、流石にモノの欲求を満たすことに疲れが垣間見え始めており、必ずしも物欲を満たしても精神的欲求までが満たされないことに気付き始めてます。


この人々の意識の変化が、これまでの社会システムを変革するまでに至るのかは未だ分かりませんが、少なくともモノよりココロの充足を満たそうとする行動が深まることはあっても
逆行することはないでしょう。近代経済の申し子である企業組織に傅かれた労働者たちも、その集団組織の人間性を疎外する行き過ぎた経済合理性の追求に疲弊してしまっています。


そして、その企業組織にも綻びが見え始めており、ただ盲目的に利益を追求するだけでは新たなイノベーションなど起きるはずもなく、社会における自らの存在意義を再定義する必要に迫られています。それがまたそこで働く方々がどの様に社会と関わって行くかという意志と共鳴していることが求められるに至ってます。考える力が社会に問われている所以です。


目先の課題をどう効率よく解決していくかということでなく、その根底にある課題を見出し社会のあるべき本質を見定めながらより良い方向に導きだす能力が求められているのです。それは人間に与えられた英知を呼び覚まし、創造力を発揮して対処していくことでしょう。人々に備わった暗黙知を拠り所とする個性を発揮し、それを顕在化させる必要があります。


暗黙知を形式知として顕在化させて行くためには、他者を介して自分に気付く必要があります。それを人と人のつながりやコミュニティと言うのかもしれませんが、現代社会の病理は余りにも個々人が社会システムの中で歯車化してしまい、それらが失われていることでしょう。所詮、人間は独りで生きていけない存在であり、他者との交わり合いを希求してます。


他者に自分の話しを聞いて貰うことを通して、人間は気付き成長していく存在です。それを意識するか否かに拘わらず、最近の風潮を見ていますと職場でのコミュニティとは別に気の合う仲間同士が集うシチュエーションが増えているようです。SNSなど情報技術の発展が
、益々それを助長しており、それがまた知識的創造力を誘因する切っ掛けとなっています。


人間には自浄作用があるため、行き過ぎた社会や経済を意識的に変えようとするのか否かに拘わらず、動物的本能によって脅かされた暮らしの安定を保とうとするものなのです。後は資本(=お金)に対する欲望との折り合いをどの様に付けるかですが、必要以上のお金があっても人間の心は満たされません。そこは、やはり論語と算盤ということになるでしょう。


今日もありがとうございます!
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自らのスキルを普遍化する!

皆さん、おはようございます!
企業として継続していくためには利益を享受することは必然だと思いますが、過度の利益追求することは企業本来の目的を見失うことに繋がります。事業を通して社会になにを提供しようとするのかが大切であり、その論語と算盤のバランスをとるのが道徳心なのでしょう。



社会一般では、生活を安定させるため一つの会社に永年勤め上げることが常識的な慣習として認められていると思います。しかし、この変革期を乗り越えられる企業は一握りにしか過ぎないとしたらどうでしょう。一つの会社に寄り添うことはリスクとなり、もっとどこの企業でも通用する普遍的なスキルを磨いて行くことの方が得策だと考える様になるでしょう。


一つの会社で通用するスキルは、どうしてもその会社ならではの慣習に従って業務が標準化されているため、そのスキルをそのまま他の会社に持ち込もうとしても、そう簡単に通用するものではありません。例えば、日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行が合併して新設されたみずほ銀行において、各行の稟議書の決裁の方法が全く異なることは有名な話しです。


本来必要なことは、会社独特の我流の業務を鵜呑みにすることなく、その根底に流れる業務の本質を理解しようとすることでしょう。一つの会社で働いていますと、OJTで習得するスキルの本質まで掘り下げることが難しいのですが、例えば資格をとる為の勉強をするとか学術書を手に取り、自分の業務の本質を理解するよう努力することは有効なことでしょう。


また、これだけ転職市場が拡大していますので、機会があれば他の会社に転職することにより、これまでの会社との仕事の遣り方の違いを目の当たりにすることも大切なことかもしれません。いまというご時世であれば、転職までせずとも副業や兼業制度を利用して、他の会社を覗いてみることも可能でしょう。大切なのは表面的な仕事あり方に隠された本質です。


その本質を理解できますと仕事の目的や効果を押さえることが出来るので、手法については千差万別でも良いことになります。会社では、会社の規模が大きくなればなるほど、業務上のエラーというリスクを回避するため、業務が標準化されることになりますが、それは飽くまでもエラーを回避するための工夫であり、その方法は他の会社では受け入れられません。


よく守・破・離といわれることがあります。一つの技を極める為には、まず「形」を忠実に守り確実に身に付ける必要があります。その「形」が心・技・体にまで浸み渡りますと、はじめてその形の良いところを自分の中に取り込むことが出来るようになります(=本質)。そしてやがて自分ならではの新しい形を生み出し確立させることが出来るようになります。


一番いけないのが、仕事の表面的なやり方に漫然としてしまい、それが機械的なルーチンワーク化してしまうことです。その仕事が出来た気になってしまい、実は本質まで掘り下げないでいることから応用力に欠けてしまうことが往々にして起こり得ます。それでは不慮の事態が起きたときにリカバリーすることが出来ないばかりか、会社に多大な損失を齎します。


人間の仕事がITという機械に置き換わって行きますと、なかなかその業務の根っ子の部分にまで目が行き届かなくなります。確かにシステム化は便利なのですが、それ以前にアナログの部分を理解できていないといけないと思います。一つの仕事を極めるということは、その業務をスピーディーに結果を出すことでなく、その本質を理解し意志を込めることです。


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将来が不透明な時代の心構え!

皆さん、おはようございます!
社会に出て初めて出会った信用金庫時代の同僚と焼き鳥を食べながら飲み明かしました。お互い還暦が近づいており、昔話に盛り上がりつつ、家族のことや老後をいかに働いて行くかなど。同じ多摩地域で生活するものとして、またどこかで一緒に仕事をする予感がします。



先行きがどの様になるかなんて、誰にも分からないものでしょう。ただデジタル化社会だからこそ、人々はヒューマンタッチなアナログな部分を希求している様にも感じます。それだけ時代は大きく変わり行く只中にあり、これまで拠り所としていた社会的な慣習は矛盾に満ちており、これからを生きる上であまり参考にならなくなっている様に思えてなりません。


その様な状況にある今日だからこそ、人々はどことなく将来に対して不安を感じているのではないでしょうか。これからの社会や自分の人生がどの様になって行くのか見通しが立たない中では、これまでの様に直線的に物事を捉え処世していくことが出来なくなります。それが、現在において「将来が不透明な時代」と人々の間で不安感を煽らせていると思います。


その様な時代を生きる私たちの心の拠り所をどこに置けば良いのでしょう。不安にばかり駆られていても委縮するだけであり、もっと明日に対して溌剌とした夢を抱いて行かないと、これからの社会がシュリンクしてしまいます。戦後焼け野原であった日本という国が、目覚ましい経済的、社会的発展を遂げて来れたのは、人々が明日に希望を持ってきたからです。


ただし、その時と現代では異なる点があることも見逃さず、冷静に受け止めるべきでしょう
。それは、戦後の日本は模倣すべき近代社会を築いた欧米諸国があったことであり、それを模倣していれば良かったことです。この模倣という「もの真似」文化は明治維新以降のたかだか約150年の間に身に付けたものであり、日本人のDNAにまで染みついていません。


江戸時代までの日本人は、あまり先々のことばかりに目を奪われず、その時々を自分の心の趣くまま楽しく暮らしていたのではないでしょうか。無論、現在と比較すれば、経済的にはそんなに裕福であったとは思えませんが、だからこそ日々の暮らしを少しでも明るく自然を慈しみ、その自然界に包摂されていることを実感しながら楽しもうとしていたのでしょう。


その様な元禄文化において、日本人ならではの様々な芸術作品が生み出されていることも、人々の暮らしにおいて自分自身の「心」に目が向いていたからだと思います。自分を幸せに感ずるかどうかは心の持ちようです。人間の意識は自然と自分自身の内面に向かうものでしょう。だからこそ、江戸時代は精神文明として栄えて行ったものと考えることが出来ます。


それに対してこれまでの現代社会は、自分自身の「心」のあり様以前に科学に裏付けられた経済発展に重きが置かれてきたが為に、その結果実現した社会の枠組みと「心」の幸福が乖離してしまっており、経済成長の鈍化と情報技術の発展と相まって、人々は現代社会に対して疑問を持ち始めているというのが現実でしょう。人々は「心」に目を向け始めています。


社会という人間の外側に幸福を求めるのでなく、自分の内側に幸福を求め始めています。それが人間として備わった自然な行動であり、その結果として人間として安らぎを覚えるからです。今という時代は、その様な文化が大きく変わり行く端境期にあると言えます。人々の内にある心のささやきに耳を傾け、それを表現していくことがこれからの社会を創ります。


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