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昭和モダニズムのデザイン!

皆さん、おはようございます!
経済成長し続ける条件が整っている時は右肩上がりの線形経済で良いと思います。しかし、人々が将来に向けて夢を見なくなり人口が減少する少子高齢化社会の下では、資源、資本、コミュニティなど、全ての事象がループするドーナッツ経済の方が優れているのでしょう。



山形県に天童木工という1940年創業の、とてもデザイン性に優れた定評のある木製家具メーカーがあります。その昭和時代の天童木工の成長を支えた製品開発責任者によるトークショーを観に銀座にある無印良品を訪れました。トークショーが始まる前に展示されていたスツール類を見て回りましたが、デザインには素人の私でも素晴らしいと感じられました。


トークショーでお話しをお伺いしてみますと、天童木工の昭和モダニズムを要約すると①海外の著名なデザイナーが生み出すデザインを採り入れるためのコミュニケーション、②大量生産に適するようにデザインを洗練させることに苦心、③和洋折衷のデザインということになります。印象に残ったことは大量生産する為に海外からの輸入木材を使用したことです。


明治維新以降の遅れた工業化への道を取り返すように、昭和は大量生産を驀進する時代的な背景があったことが良く理解できます。新製品開発するデザイナーも、どちらかというと意匠性に優れた製品を創り出すというよりも、いかに化学や電機の技術をも活用して意図するデザインを実現するか作り出すことに、その意識が向かっており傾注されてきてる様です。


その過程では、海外デザイナーが生み出したデザインを応用して二次利用するため権利関係の確保に腐心していたことも昭和モダニズムデザインの特徴を見出すことが出来ると思います。1964年に開催された東京五輪に向けた製品の大量供給が弾みとなって高度経済成長を持続してきたのでしょう。モノが不足していた昭和時代の文化的背景が絡み合ってます。


天童木工は安定的に良質な原材料である木材の調達を行うためにブラジルにまで生産工場を進出させますが、当時の市場調査の雑駁さを理由に頓挫したエピーソードまで飛び出し、そこも含めて昭和モダニズムだと感じました。今日、世界的に言われている持続可能社会の実現からは程遠く、ギラギラした利己的欲望によって欲求を満たす時代であったのでしょう。


それに対して、21世紀の令和時代はモノが不足する時代ではなく、精神的な欲求を満たすことを追い求める時代に変わっています。そこでのポストモダンは、飽食の時代のデザイン性の追求ではなく、社会や自然環境に優しい配慮を前提としたデザインこそ本当に優れたデザインではないかと思います。資源の無駄遣いを前提としたデザインは色褪せて見えます。


もう一つは、もの真似デザインでなく、アートにも似た新しいことを創出するデザインであるべきでしょう。そこには自分の価値観や生き様を投影した洗練されたデザインである必要があります。デザインが社会に受け入れられるためにロジカルに課題を解決するプロセスを経ることは理解できますが、そこに自己表現しながら魂を入れる必要性が高まるでしょう。


優れたデザインを実現する為には良質な素材も必要となります。その素材にも意味を持たせる拘りが大切でしょう。加工技術の進歩に裏付けられた昭和モダニズムのデザインですが、これからは本当の意味での「質」が問われるのではないでしょうか。折角、素晴らしいデザインであっても、それが悪貨に化体されたデザインではその輝きも失せてしまうでしょう。


今日もありがとうございます!
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エネルギーを整え見えて来るもの!

皆さん、おはようございます!
ヨガやアーユルヴェーダによると、人間というものは自然界と繋がりエネルギーが出入りする肉体であると言われています。それを整える気功師とでもいう専門家が存在しています。その専門家によると、私のエネルギーは樹木と共鳴し合うようで身体の中に沁み入ります。



そう言われてみれば、弦楽器であるチェロの優しい音色を聞いていますと心や肉体に沁み渡り穏やかな気持ちにさせられます。外を窓越しに見渡せば青々とした緑の葉を付けた木々が視界に飛び込んで来ます。学生時代に自転車で全国を津々浦々駆け巡った思い出も、一面が緑の大平原に囲まれた大地を一歩ずつペダルを踏み込みながら歩みを進める情景なのです。


確かに自分では意識してないのですが、潜在意識の中では無意識のうちに心が木々=樹々と共鳴し合っている様です。考えてもみれば、この世に生まれた時から自宅の庭には大きな栗の木があり、幼少の頃によく登って遊んでいたような記憶が蘇ってきます。誰に習った訳でもなく木工が好きで、子供の頃より木材を自由に扱い傘立てなど様々な物を作ってました。


だから松本平という地に引き寄せられてるのでしょうか。街のどこからも周囲をアルプス山脈を見渡すことができ、人口20万人余りの都市は岳都、楽都、学都というに相応しい自然を慈しむコンパクトな街並みを形成しています。その様な環境に昔から暮らす人々は、閉鎖的と言われることもありますが、未だ移住者が増えていることもあり開放的なのでしょう。


考えてもみれば、50年余り首都圏という砂上の楼閣で暮してきて感じることは、欲望と身勝手な利己的カオスが混在する首都東京というものは、確かにひと、もの、かね、情報が集中する便利な所かもしれませんが、人間が住み暮していくには残念ながら混沌とし過ぎている様に感じます。人々が寄り添うコミュニティが希薄である所も住み難さを感じさせます。


人間にとって一番良いのは、自然というメカニズムに包摂され生かされる存在であることを考えると、自分の体内エネルギーのリズムが解放されることだと思います。その時にはじめて自分自身の個性を最大限生かすことが出来るからでしょう。それは頭で考えることではなく、それ自体が宇宙と繋がる地球というエネルギーによって揺り動かされているからです。


都会で暮らしていると刺激的な情報が多過ぎて、ついつい頭を使い過ぎてしまいます。そうではなく、もっと自らの精神が惹きつけられ趣くままに暮すことの方が大切だと思います。
その様に考えてみますと、いま地域に根差した中小企業の事業再構築支援を大田区、多摩市
、松本市で行っていますが、それぞれの地域によって私の肉体が踊る部位が異なる様です。


どの地域から入っても出口は同じだと考えていましたが、自身の心に宿る感性の悦びが異なるようです。私の展望は、地域内の事業者を紡ぎながら関係性を創り上げることによって、地域内でひと、もの、かね、情報が循環する経済の躍動を取り戻すことです。その中でも特に「ひと」に着目して、その人の魂を呼び覚まし個性を発揮できる様に導くことなのです。


少しばかり神秘的な話しになってしまいましたが、これからの社会は益々と個性を最大限に発揮する時代へと移行してきます。仕事を通して糧を得ることが暮らしの大部分を占める中で、誰しもが楽しく溌剌として自由に仕事に関わることが大切だと思います。その時にはじめて個性が最大限に発揮されるのであり、夢のある社会を取り戻すことが出来るでしょう。


今日もありがとうございます!
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これからの展望!

皆さん、おはようございます!
いまマイウエイのBGMを聴きながらブログを書き始めています。この曲に初めて出会ったのが小学校高学年の頃だったと思います。確か年末年始に深夜テレビ映画を父親と一緒に観た思い出があります。この曲が忘れられず、レコードまで買い求めた記憶が蘇ってきます。



現代社会は過渡期にあり、これから大きく動いていくものと思います。その時に着目すべき点は、人生の大部分を占めている仕事のあり方がどの様に動いていくかだと考えています。
私の願いも込めたあるべき社会の姿は、会社という枠組みに捉われず自由かつ自律的に仕事に取り組める、自ら夢を描き実現していく過程に精神的な豊かさを享受できるのでしょう。


その様な社会が実現するまでに、どの位の時間を要するのか定かではありませんが、少しずつそれが現われて来るものと思います。もう既にその兆候が出始めているものと感じます。
それも首都圏ではなく、地方都市の方がそれが如実に現れているのではないでしょうか。それは地方都市の方がコンパクトで纏まっており、人の結びつきが強いからだと考えてます。


いつも思うことに、現代社会というものは偶々モノが不足する時代を経て規模の経済を追求する体制が蔓延っていますが、元を正せば明治維新までの家内制手工業社会ではありませんが職場と暮らしが接近していました。それが、大量生産する目的で大規模な工場を建てる必要から、居住街区と工業地帯という都市計画によって生活が分断される様になっています。


それまで地域内にヒト、モノ、カネが循環していた社会が不均衡となったことが、私たちに生活をする上での息苦しさを感じさせているのではないでしょうか。それは疑心暗鬼になってしまい安心して人づきあいが出来なくなっていることが現代社会の病理だと受け止めています。だから晩婚化が進んでいるのであり、それが少子化を助長しているものと思います。


それも、これも現在の経済の枠組みが原因だと思わざるを得ません。確かに会社に趣き協業することにより飛躍的に生産性が高まったかもしれませんが、そこでのコミュニティは人々に閉塞感すらもたらしてしまっており、もっと身の丈に合った安心できるコミュニティに属している必要があるでしょう。かねては地域コミュニティが人々を繫ぎ止めていた筈です。


人間というものは所詮は独りでは生きていけないものです。昔の様な地域コミュニティにまで戻ることはないかもしれませんが、張り詰めた心を癒す緩やかな人間関係を育む社会に移行する時だと思います。その一つの大事な鍵が会社だと考えています。確かに高度経済成長時代を背景に同じ釜の飯を食う仲間が集っていたかもしれませんが、時代は変わってます。


その雪解けとなるのが、やはり情報社会の到来ではないかと思います。それは3Dプリンタの出現ではありませんが、必ずしも規模の経済がこれからの唯一無二のビジネスモデルであるとは考えられないからです。もはや自前主義は過去のものとなり、ビジネスは既存のビジネスとビジネスが連携し合う中から新しいチャンスが見いだされる時代へと変容してます。


その様な変化の兆候を受けて、いかに生きて行くべきかを考えることが大切なんだと思います。なんと表現をして良いのか分かりませんが、もっと個々人が自由に伸び伸びと夢を語りそれを実現していこうとするプロセスこそ、社会を確実に変化させる機動力になると思います。その様な来るべき社会を見据え、手を携えながら励まし合う寛大な心が大切でしょう。


今日もありがとうござます!
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