社会に対して自己表現する!
皆さん、おはようございます!
人間というものは誰しも幼児体験により身に付けてしまった、他人には言えない抑圧されたものを抱えながら生きているのかもしれません。それがトラウマとなって自分が持つ力を抑制してしまうものかもしれません。その事実を受け止め自由に自己表現すれば良いのです。

抑圧された引け目が存在すると、人間は自分を自由に表現できないものかもしれません。それは、その人が持つ実力よりも自分を低く評価してしまうからです。自分を客観視することが出来れば、もっと自分に自信をもって社会に対して自己表現することが出来る様になります。それは、創造力というものが誇張のない自分への素直な信頼から発揮されるからです。
それを哲学者であり心理学者でもあるジェンドリンの言葉を借りれば「暗在的複雑性のプロセスモデル」という事になるのでしょう。人間は内心に抱えるドグマ(=引け目)により苛まれながら生きているものですが、それが例えば他人に対する猜疑心となり邪魔をするから上手く自己表現が出来ないのであり、またその事実に対してモヤモヤした感覚を持ちます。
その潜在意識に留まるモヤモヤした身体感覚に触れ(=フェルトセンス)、それが何であるかに気づきを得て意味づけできた時に、人間はその抑圧されたドグマを乗り越え人間的に成長するという理論が「フォーカシング」になります。また、その時に人間は捉われのない素の自分を表現できる様になり、創造力を発揮する主体として自由に活動する様になります。
逆に言えば、自己表現することを仕事とする芸術家などは、自分が持つ芸術的スキルを活かすべく、日々絶えず素晴らしい自己を表現する為に心身の鍛錬に努めているということが出来ると思います。社会に対して自分の芸術作品を受け止めて貰う為には、自分の中にある抑圧されたものをバネとして乗り越えながら、創造力を発揮して自己表現する存在でしょう。
私も、物心ついた頃から威厳のあるカリスマ性を持っていた亡き父親の存在がトラウマになっていたことに気づきを得たタイミングがあります。幼心ながらに父親に甘えることなく、委縮しながら育ってきた記憶が残ります。だから、幼少の頃は工事現場を見つけると出稼ぎのおじさんたちに甘えたり、家出の回数では前科?犯といった風変わりな行動をしてます。
子どもの時だけなら未だしも、絶えず父親への対抗意識や引け目を感じていたので、社会人になっても中々自分に自信を持てずにいたと思います。だからか父親に負けない業績を残すべく躍起となって仕事に傾注していたのでしょう。ストイックと迄は言いませんが、周囲から見れば奇異だったでしょう。もしかすると父親も私と同じ境遇だったのかもしれません。
その時は、自分の潜在意識にある自分を突き動かしているモヤモヤした身体感覚が何であるかなんて知る由もありません。絶えず、自信のないプライドを抱えている様な不思議な気持なのです。その様な時にカウンセリングの勉強を始めたことがジェンドリンの「フォーカシング理論」との出会った切っ掛けであり、自分の内面に気づきを得ることが出来たのです。
ジェンドリンではありませんが、人間というものは何に対しても捉われのない素直な自分で自己表現しようとする時に創造力を発揮するものと感じてます。現代社会がこれだけ複雑化して来ますと、人間は難しい人間関係に苛まれてしまうものです。地域企業の経営者だって
、自分の想いをビジネスに乗せ切れないでいる背景に、様々な人間模様があるのでしょう。
今日もありがとうございます!