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暮らしの価値

皆さん、おはようございます!
昨晩の隅田川の花火は綺麗でしたね。
強雨の中、会場でご覧になられていた方は大変だったと思いますが、
テレビよりもライブの方が臨場感があるでしょう。


隅田川の花火大会も
再開してから既に40年も経つんですね。
第6回大会の時に会場に見に行って、
TV東京にどアップで放映されたことを思い出しました。。


昨日は東京国立近代美術館に「日本の家_1945年以降の建築と暮らし」という、
戦後日本の住宅デザインの変遷を纏めた展示なのですが、
日本より先にローマとロンドンで開催されて好評を得て、
日本でも初めて開催されたものです。


海外では建築家が住宅デザインをすることがなく、
公共建築物のデザインが王道という風潮がある為、
住宅自体を有名な建築家がデザインしていること自体に
関心を持たれたものと思います。


面白かったのは、戦後復興期に住宅を大量供給する必要から「プロトタイプと大量生産」という工場で製造するプレハブ住宅が幅を利かせて来たこと。
そして、バブル経済崩壊後辺りから「脱市場経済」といわれる建築家による町屋づくりや空間デザインに焦点をあてた系譜があることです。


70人近い有名な建築家のデザインが展示されており、
非常に個性的で面白いので是非ご覧になって頂けたらと思います。
私の感想は、個々の住宅デザインというよりも、何れのデザインも土地の形状に依存し、
その中で最大限に快適な空間を目指しているところです。


例えば高齢化社会により相続で土地が細分化されて行けば、その規模に合った土地のポテンシャルを最大限引き出す建物をデザインするという視点。
私が不動産開発会社に身を置いたことがあるせいか、隣接する土地を購入するとかして街づくりの観点から必要な建物を考えて行きたくなります。


ところが建築家は与えられた土地のポテンシャルを最大限引き出そうとする発想なので、
ある意味、不動産開発と建築は近接領域なのですが、こんな違いがあるのかと感心してみたりしました。あと以外にも建築家は建物の形状と室内空間の独自性を注視しているせいか、町屋づくり以外は街並みという取り組みが少なかったように思います。


戦後以降の住宅デザインの系譜であったせいか、各々のデザインの根底にある数寄屋造りといったような、共通した思想というものを感じられなかったのが絵画等と異なると思った次第です。家というものは暮らしそのものでもあり、人生で最大の買い物でもありますから、誰しも大量生産品ではなくオリジナリティの高いこだわりの家が欲しいですよね。


商品やサービスの価値とは、どの様なメカニズムで決定されるのかご存知でしょうか。
今では商品やサービスの機能性や効率性だけではなく、自分のライフスタイルにどの様な意味をもたらすかという消費行動が顕著になってきています。その意味では商品やサービスの価値というより「暮らしの価値」と言った方が良いかもしれません。


モノやサービスの値段について言及してみたいのですが、モノやサービスの値段には①そのモノやサービスを販売する迄に費やしたコスト(=原価)を積み上げ、適正利潤を加算した価格、②個々のモノやサービスから得られるベネフィット(=利用価値)を還元して求められる価格、そして③そのモノやサービスの市場で取引される価格があります。


①は生産者サイドが決定する価格で、②は需要者サイドが決定する価格です。③は生産者と需要者が出会う実際に取引が行われる価格です。面白いのは必ずしも①と②と③が一致していないことです。①>②もあれば、①<②ということもあります。でも必ず③は①と②の中間に収まります。


モノやサービスが世の中に行き渡っていない高度経済成長の時代ですと、消費者もそのモノやサービスがないと困る必需品ですから、どちらかと言いますと①の価格に従わざるを得なくなります。しかし、機能的には変わらず比較すべき安いモノやサービスが出現しますとこの①’を選好する。これが機能性や効率性の商品の特徴ということが出来ます。


ところが、この機能性や効率性のモノやサービスが満たされ、消費者が自身のライフスタイルに共感するモノやサービスを欲すると、消費者は有形無形の主観的なベネフィットに価値を見出す様になります。その時の②の価格は実際に具体的な経済的価値を見いだせればその価格で、若しくは感覚的な価格を参照することになります。


これが「暮らしの価値」といわれるものですが、モノやサービス(=この場合はコト)に対して共感できる匠の技の思いや、企業理念に共感する他、アンティークなコトの様に長年使用されて来た歴史を掻い潜ってきた温もりを感じる等々、様々なコトの価値が考えられますので、主観といわれる所以です。


いま多くの供給側の企業が、情報化社会を背景に、この暮らしの価値のウエイトが高まっていることに注視しなければいけないと思います。暮らしの価値とは必ずしも①のコストを積み上げた価値とイールドな関係ではありません。大幅な①<②であれば良いですが、そのモノやサービスの機能性を追い求めるあまり大幅な①>②となる可能性もあります。


前者は正の主観価値、後者は負の主観価値です。
供給者側が一球入魂、これぞという機能性の高いモノやサービスを上市しても、
消費者の主観に照らし合わせて届かなければ、最初から負の主観価値ということもあれば、最初は若干の正の主観価値であっても、徐々に負となる怖さもあり得ます。


その意味では③の市場価格も食料品や家電製品の様なマスプロダクトであれば市場価格が成立しますが、②の様な暮らしの価値はネットオークションの様なクローズドマーケットでないと市場が成立しない性質だと思います。この様な暮らしの価値に該当するコトをマスプロダクトを扱う企業が何処まで提供できるかは分かりません。


しかしながら、最近、場としてのプラットフォームの著しい成長が着目される様に、
消費者と供給者が出会い集う場としてのそれは何か秘めているものがある様に思われます。このプラットフォームもまだまだマスの域から出ていない様に思えますが、今後はもっとローカルプラットフォームなるものが出現してくるのではないでしょうか。


1945年以降の住宅の系譜を見る限り、
住宅は正しく「暮らしの価値」の属するコトだと思います。
にも関わらずマスプロダクトを選好する消費者が多いのは、暮らしのコトである住宅を提供する体制が整っていないからだと思われます。


住宅に使用される部材は多岐にわたる為、
デザインのみならずこれらの部材を取引するプラットフォームの様なものが
これからの時代に必要となるのではないでしょうか。

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