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Cafe’文化

皆さん、こんにちは!
今日も素晴らしい天気でしたね。
私は午後から久しぶりに図書館に行き、あれもこれもと好奇心をそそられ
今しがた小脇に本を5冊抱えて帰って来ました。


午前中の病院の待ち時間に、
普段から気になっていたCafe'って、コーヒーを飲んでくつろぐだけではなく、
もっと積極的な「場所」としてどの様な意味があるのかネットサーフィンしていたら、
いくつかのブログや書籍紹介に出会った次第です。


先日もブルーボトルコーヒーについて記載しましたが、地域の人々が集う場としてのCafe’は、顔見知りの方々がくつろぎながら気楽に会話を楽しめる温もりのある空間であり、そのようなリラックスした会話により様々な知識や経験の交流が図られ、ある意味、情報が集まる実物的なメディアとも言えるのではないでしょうか。


今日、図書館で手に取った本も「Cafe’から時代は創られる」、「カフェがまちをつくる」というタイトルです。
私もCafe’に良く行きますが、気持ちが落ち着くので、何かものを考えるには良い場所ですよね。周囲の話し声も、適度な刺激となって頭がスムーズに動きます。


特に喫茶店という事業のノウハウを知りたかった訳ではないのですが、
まち中の人々が自然に振る舞うことができる機能として、
もう少しCafe’の本質的な意味を探求したうえで、
まちづくりの観点(ハード面およびソフト面)でヒントになるものがると感じています。


最近、オフィス空間でも、今までの企業の様に社員自らの座席を固定せずに、
お洒落なCafe’の様な室内装飾に椅子やテーブルをバランスよく配し、
朝会社に来た社員がその日の気分で好きな場所に座る「フリーアドレス」を多く見かける様になりました。


先日のCookPad等はフリーアドレスだけではなく、
フリーキッチンとでも言うのでしょうか、
社員が銘々、好きな時に好きなものを作れる大きなアイランド型のキッチンまで用意し、
社員の方々の創造力を掻き立てる自由空間を演出していました。


律義で几帳面な性格の日本人からしてみますと、
そんな不真面目な形で真剣に仕事が出来るのかよと思われてしまいそうですが、
シーンと静まり返った緊張感のあるオフィス空間よりも、
少しBGMを流すくらいの空間の方が脳科学的には創作活動に向いているそうです。


ただ、業務の性格上、同じチームのメンバーが密な連絡を取り合わなければいけない場合もありますので、業務特性に応じて一週間の決まった時間だけはメンバーの皆が顔を合わせて直接会話が出来るようにする等、独りでいる時間とメンバーが集う時間を使い分けて運用しているようです。


今までの部署毎に机を並べて顔を突き合わせて仕事をする以上に、
今まであまり会話をすることもなかった様な部署の人とも
気軽に会話がすることが出来る様になり、
かえって新しくコトを想像する業務では生産性が高まるそうです。


私の知人のいるオフィスレンタルの紹介をする不動産会社では、
オフィスの空間づくりまで提案をするところが増えているように感じます。
居心地の良い空間を提案する会社から、さらに深みのある企業のイメージアップや働く人のモチベーションまでアドバイスできる会社まで千差万別です。


昨夜、高校、大学時代の友達と3年振りに会った時ですが、
いまのご時世、部門間、会社間のセクショナリズムが強すぎて居心地が悪いという話に花が咲きました。確かに、働く人の知識レベルが高まるのと同時に、組織間の垣根が高まり逆にお家芸としていた日本の生産性が悪くなっているのではないでしょうか。


今日、通院しました大学病院も、非常に個々のホスピタリティは高いのですが、
たまたま保存科から口腔外科に変更となったのですが、同じ病院なのに、別の病院に転院する様な不自由さが感じました。それ以前に、この大学病院に通うことになるまでに幾つの街中の歯科を転々としたことか。。(笑


また、ニュースを見ていますといじめ問題があとを絶ちませんが、
このいじめ問題の根底にあるものは、
クラスや仲間の共通のコンセンサスから逸脱するものが排除されるところにあるようです。自分たちと異なるものは認めないという、個性を軽侮する集団心理です。


逆に見れば、排除する側のコミュニティの個々人も、
本当は個性を持っているはずなのですが、
その個性を表現したが故に、そのグループから排除されるのが怖いから、
更に仲間意識(=連帯意識)を強めてします悪循環もあるのでしょう。


本当は、企業社会がそうだから、その企業社会に最適な人材を養成する教育制度まで標準化された人材を輩出する個性を認めないシステムとなってしまい、
子供たちが過ごす学校までが居心地の悪いものとなっている、
これが本質ではないでしょうか。


これは日本の社会全体の仕組みが情報化社会という変革期の中で、
本来はお互いにフランクなコミュニティで交流しながら情報交換し新たなコトを生み出して行くべきところ、その情報の利用の仕方を間違えている為に、
自らと他人、自組織と他組織との距離を高めることになっている様に思います。


この様な人々の自由な暮らしの為にあるはずの社会の仕組みが、逆にそこで暮らす人々に疎外感を与えているところに危惧しています。私が、このブログを始めてから何度か、財務的な見地から知識創造力、今後の事業のあるべき姿の共通点として商品の機能ではなく消費者の共感性や温もりといった人間的な部分の必要性を綴って来ました。


今回のCafe’もそうですが、
人間として正しいコミュニティを育んでいくことが、これからの時代大切だと思います。
まちづくりとは言いましても、社会の仕組みとして地域に暮らす人々の笑顔が絶えないまちをどの様に創って行くべきか、Cafe'にそのヒントがある様に思えます。


Cafe’、財務実務、情報化社会、匠の技、言語に出来ない経験としての知識他、
全ての本質は同じところにあると思います。社会の全てのものは、人間と環境が対峙することに帰結します。「人」と「コミュニティ」という言葉の中に全ての解答があるのではないでしょうか。このテーマを掘り下げた気付きを綴って参りたいと思います。

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