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プロの本質!

皆さん、おはようございます!
お正月も三日目、天候にも恵まれて日中は暖かいですね。。如何お過ごしですか。
我が家は、毎年恒例の箱根駅伝を見てから、近所の深大寺に初詣です。
お屠蘇に深大寺そばを頂き、今年一年間の家内安全を祈願してきたところです。



お餅を頂きながら思った訳ではありませんが、「餅は餅屋」という言葉があります。
物事はその道の専門家に任せた方が諸事上手くいくという意味です。
以前、某流通グループで仕事をしていた時に、事業というのはその道のプロに意見を聞き任せることが上手くいくことを当時の会長から学びました。


プロというものは、単にその分野について学問として体系的に学んでいるだけではなく、あらゆる課題、問題に対して、経験として肌感覚で体得している強さがあります。
学問というのは、事象から導き出される現象を最大公約数的に標準化した概念であり、それ自体が対象分野の全てを語り尽くしている訳ではありません。


いまの社会では、表象的にある学問を修めたからその分野の専門家であると捉えられがちですが、実はその学問の専門家であるだけなんですね。
それがビジネスの分野であれば、学問というのは海上に現れている氷山の一角であり、水面下にはもっと大きな氷の塊が存在する訳です。


本来プロとは、その海上に現われている部分と水面下にある部分の両方を自分なりに理解し、物事を整理して捉えているものです。言い方を変えますと、学問上のある理論と理論の間にある行間を埋める部分をも理解することが大切であり、それを理解していないと理論だけで客体を論理展開しても、氷山全体を説明することが出来ません。


最近、感じますのは、企業運営の場とか、社員採用プロセスの場を見ていますと、この氷山の一角のみで物事を判断しようとする帰来があるように思えてなりません。
議論の為の議論とか、体裁だけで判断するということですが、それは企業として尤もらしく執るべきプロセスを踏んでいる様に見えますが、本質の的を射ているのでしょうか。


企業も組織が大きくなり、様々な立場の人間が集団で組織を運営して行こうとすると、様々な意見が出て来ます。個人的な意見で議論していたら纏まる話も纏まらなくなるので、論理的に概念形成しながらコンセンサスを取り、組織としての意見を収斂させていくのが、今日の社会における現実だと思います。


でも、誰もが理解できる概念と言いますのは、先ほどの氷山の話しと一緒で、氷山全てを語っている訳ではありませんので、どうしても形式的な議論に終始してしまいます。社員採用などを見ていましても、どこ其処の会社で企画業務に○年携わってきましたとか、どこ其処の大学で法律を学んできましたという様な形式に捉われている様に見えます。


集団内でコンセンサスを取るためには分かり易いのですが、そこだけを見て組織を運営する様になっては本質を見誤ると思えてなりません。
規則やルールがそうなっているから、その規則やルールに従っていれば良いかというと、そんなことはありませんよね。時代とともに規則やルールは変わって行くものですから。


最近の大手企業の不祥事は、この様な観点から生じている様に思いますが、これも企業が肥大化してしまったが故の「規模の不経済」と言えると思います。
創業経営者でしたら、言葉にし難い自らの野生の経験を含んだ知見で会社を経営していますが、生え抜きのプロパー経営者は組織力学的にバランスを優先させざるを得ません。


人間としては止むを得ない行動だと思います。時代が単調に右肩上がりの時にはそれも良いのですが、これからは過去の経験では語れない、だれしも経験したことがない情報革命および人生100年の価値観への変容という未曽有の時代を迎えます。その様な時代に、過去の概念で将来を語ることには、そもそも無理があると思います。


その様なことを繰り返しているうちは、いまの企業は変革には覚束ないと思います。むしろ情報化社会というスピードの速い時代の方がどんどん先に行ってしまいます。
その様な時代だからこそ、物事の本質を理解した職人はだしのプロを重用すべきなんだと思います。時代が変わっても、変わらぬ本質を理解して物事を判断できるプロです。


変わらぬ本質とは人間の心理です。今の社会はコミュニティによって成り立っています。どの様な専門分野でも、人との関わりを抜きにその道を納めることは出来ません。難しいのは、形式優先社会の中でその様な職人はだしの声というのはスポイルされやすいということです。自分にとって最も効果的な表現方法を知ることも大切だと思います。


それは芸術家に通ずるものがあるかもしれません。芸術家とは社会を風刺してアートという方法で自らの考え方を世に表現して行く存在です。
彼らが自らの考え方を言語で世に問うたら、なかなか受け入れてもらうことは難しいでしょう。言語だけで自らを全て語り尽くすのが難しいからアートとして表現するのです。


私は、この社会に生きる個人個人皆がアーチストとしての側面を持っていると思います。
自らの暮しを豊かでより良いものにして行くための創作活動が大切な時代なのではないでしょうか。仕事も暮しの大切な一部分です。その仕事を暮らしと隔てることなく、より良い暮らしを創造することに尽きると思います。


今日もご覧いただきましてありがとうございます。
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