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シェアリングエコノミーの本質に迫る!

皆さん、おはようございます!
朝、早く起きますと陽の出が待ち遠しくなってしまいますが、
少しづつ外が明るくなって来るのが分かります。
こうやって外を眺めている時間もなかなか贅沢で良いものですね。


さて、最近マスコミを賑わすライドシェアのUber、SNSのFaceBook、OSのLinux、カーシェアリング、コワーキングスペース、クラウドファンディングetc.と掲げて、何を連想するでしょうか。いずれも大方が21世紀に出現した事業(有償か無償かに関わらない)であり、シェアリングビジネスとして括ることが出来る事業ばかりなんです。


最近、気が付いたのですが、いずれの事業にも共通する原則を持っています。
①モノやサービスを購入するのではなく「利用」する形態を採ること。②不特定多数の個人や法人が参加し、プラットフォームを通じて出会うこと。③プラットフォームへの参加者はサービスの「提供者」にも、「受領者」にもなれること。


しかし、なぜ21世紀になって急速にこれらのプラットフォーマーが出現し、消費者に受け入れられることになったのでしょうか。一つには、情報技術の進展により、個人でも情報端末を使用するようになったこと。そしてもう一つは、個々人が会ったことのない人とでも自由にネットワークを持つことが可能となったことにあるのではないでしょうか。


そして、プラットフォームを通してボーダーレスに繋がりを持つことによって、
情報の発信や獲得を通じて、新たな知識や概念を形成できるようになると共に、「参加主体が相対で直接サービス(≒付加価値)を交換し、便益(≒満足感)を享受」できる様になっています。


その結果、産業革命以降のマスプロダクトやマスマーケティング、ならびに供給側と需要側が明確に二分されることを前提とした世界では考え得ない、世の中に存在し得なかった新しいサービスが創造されています。何れも、個性のある属人的な欲求が満たされるところが最大のポイントであり、かつ従来の産業構造よりも経済合理性に叶っています。


今までの産業構造では対応できなかった、ニッチな経済資源(=人、時間、場所、資金、産業財他)の便益を個々人のレベルで取引する訳ですから、ミクロの観点から非常に経済効率性が高いと言えます。世界中で持続可能社会が叫ばれていますが、シェアリングビジネスは現実にもマクロ経済のメカニズムとして、それを実現する可能性を秘めています。


一方、マスプロダクトの世界では産業構造の高度化が図られて来ましたが、これまでの経済体制で事業を通して全ての社会の課題を解決することが出来たのでしょうか。
少し歴史を振り返ってみますと、地域経済の中で培われて来た「協同組合」や農村などで行われている「里山資本」というキーワードが思い浮かびます。


協同組合とは、地域に住まわれる個々人が生活する上で持つ共通する課題を解決する為に、相互扶助の精神で協同組織を形成し、生活者が互いに労力を提供し、提供されるサービスの受領を通して、課題解決を図ることを目的とした組織形態であると定義できます。例えば、生活協同組合、農業協同組合があります。


また、里山資本とは、例えば営農者が自分の農地を自分が耕しているだけでは非常に効率が悪いので、地域の営農者が集まり、集団で各々の農地を耕作し合うとか、貨幣を仲介しない物々交換の世界があります。協同組合にしても、里山資本にしても、地域内で経済が循環しており、地域内のコミュニティを前提としている点に特徴があります。


この協同組合と里山資本は、本来、互いの労力等の資源を「共用」しているという意味においては、シェアリングビジネスに似ていると思いませんか。
特にクラウドソーシングと事業としての成果が同じであり、唯一、相違点を挙げるとしたらは「情報技術」を活用しているか否かという点に帰結します。


私は個々の事業を示す時はシェアリングビジネスという言い方をしますが、それらビジネスを総称して示す場合には、シェアリングエコノミーと言います。シェアリングエコノミーを和訳しますと、「共有経済」とか「共用経済」という意味になります。シェアリングとは、分け前とか、取り分という意味でのシェアです。


協同組合や里山資本は、資本主義経済の競争原理では必ずしも行き渡らない便益を補完する仕組みであると思います。ただし、事業体としては、相互扶助の精神が強く出過ぎてしまい、必ずしも利益追求していないことから、効率的な運営がなされていない部分もあると思います。この辺が、地域経済が今一つ盛り上がってこない理由なのかもしれません。


しかし、必ずしもマスプロダクトを前提とした資本主義経済だけでは、社会、特に地域や個人の課題を解決(≒欲求を充足)することが叶わない部分もあります。それを補完する形態として「共有経済」とか「共用経済」という考え方が必要となっている様に思えるのは、シェアリングエコノミーの勃興が時代の要請だからでしょう。


ここまでお読み頂きましてありがとうございます!


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