誰にも聞けない経営財務戦略!

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CFOの将来像!

皆さん、おはようございます!
間もなく国立でオープンするビジネス支援プラザのパンフレットが出来上がりました。これまで手掛けてきたことをベースに、少しだけサービスを広く提供しようとするものです。自分の意志が可視化されたその名刺のような媒体の出来映えに、満足と手ごたえを感じます。



今日ではすっかり経営執行機関として定着した感じのするCFOという職務ですが、未だ株価という企業の経済価値を財務の側面だけからのみ捉えていることに些かの疑問を感じています。確かに明治維新以降、欧米から輸入してきた機械的に単位時間当たりの効率を追求する近代経営手法は、ある意味成功を収めていますがこれからもそれが続くとは思えません。


これからはモノを効率良く生産する以前に、どのような新しいコトを事業化し商品化することが問われるからです。それは社会が物質文明から精神文明へと移り変わりつつあることと時が一致しています。企業がなにを提供するかということより、なぜそれを提供するかが問われていることを考えれば、その意味がより一層理解しやすくなるのではないでしょうか。


その様な社会の端境期において、金庫番たるこれからのCFOの役割も大きく変わり行くことでしょう。ただ財務周りの管理をすれば良いというものではなく、本来の経営参謀としての役割を全うすべく、経営者とともに戦略を描き出し、それを実現すべくバックオフィス全般をマネジメントしながら、企業の成長を確実なものとし、企業価値を最大化すべきです。


戦略を描き出して行くためには、まずは理念を再定義すべきであり、そのためには経営者個人の生き様、意志を事業を通しどの様に社会で実現していくかを深く掘り下げていく必要があります。それは哲学をするのと同義であり、経営者独りだけで為し得るものではなく、経
営参謀との問い掛けを通して少しずつ可視化しながら具体的にしていくものだと思います。


また、実際に事業を運営していく場面においては、事業の効率性を高めれば良いというものではなく、これからはその事業に共感し集う人々(=雇用契約形態に拘わらずその事業に参画する人々)の思いやアイディアを如何に引き出し創造力に繋げていくかが問われると思います。固定観念に捉われず、自由な発想で暗黙知を共有していく術が必要になるでしょう。


その何れにも共通していることは、人間の心の奥底にある自分でも認知していない言葉に出来ない暗黙の思いを如何に引き出すかということだと思います。欧米の著名な経営者が日本の禅を採り入れていることは有名な話しですが、それだけに限らずヨガ、カウンセリング、ホースセラピー、アートセラピーであっても、その目的は自分自身に問い掛けることです。


いまの日本は、元々その素地があることから、欧米諸国より先に精神文明へ移行を進めることが可能だと思います。少しスピチュアルな感じを抱かせてしまいますが、これからのCFOは人間科学をも探求し、それをマネジメントに活かして行くことが必要だと考えています
。本当の意味で企業の付加価値を追求するのであれば、人間の本質理解が不可欠でしょう。


これからの企業というものは、お客様と商品やサービスを提供する者との境目が曖昧になることが想定されます。それが何を意味するかといいますと、企業が営む事業の社会的な意義を明確にすることによって、それに共感する人々がオープンプラットフォームに集うということです。その様なインフラをマネージメントするノウハウを身に付ける必要があります。


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素の自分に迫る!

皆さん、おはようございます!
大手企業のサラリーマンと中小個人企業の経営者の意識には大きな隔たりがあります。それに気付けないのは大手企業のサラリーマンの方であり、その違いを理解できる視野の広い人財が少ないのが残念です。もっと大手企業も人財育成に趣向を凝らす必要があるでしょう。



これまでの人生の中で、なんとも言えない程もがき苦しんだことが2度あります。1度目は紆余曲折ありながらも昇りつめた?!サラリーマン生活に終止符を打ち、それまで身に纏ってきた鎧を一気に脱ぎ去った時です。もう1度は、営んでいた事業が上手くいかず自ら止める意志決定をしたときです。どちらも素の自分に迫る出来事でしたが今の糧となってます。


回顧録ではありませんが、昨日に続き今日は営んでいた事業を自らの意志で手仕舞いした時の苦々しい経験を思い返してみたいと思います。事業というものは最後の1秒まで自分の責任と意志において完結させるものです。企業は継続して営まれることを前提としていますので、どんなに赤字で資金残高がゼロになっても事業を継続しようと思えば出来るものです。


ただし、赤字で資金残高がゼロになってしまったら、従業員への給料の支払いどころか、取引先への支払いも滞りますので、普通の精神状態を持つ人間なら耐えられず、一般的には逃げ出してしまうでしょう。これが俗にいう夜逃げというものであり、今日でも大方の経営者は事業に失敗したら、夜逃げまがいの状況に追い込まれてしまうことを理解いただきたい。


ところが会社がその様な状況になっても、泥まみれになりながら執拗に事業を追い掛ける猛者が偶に僅かながらいることも事実です。会社の利害関係者からは詐欺呼ばわりして死の淵を彷徨いながらも自分の事業に闘志を燃やし、復活の道を探し続ける経営者です。私は、これまでその様な経営者にお目に掛ったことはありませんが、志が明確であればあり得ます。


世の中の多くの経営者は、自らの意志を客観的に俯瞰していないものです。していないと言うよりも、人間は一般的に余程の痛い目や辛い思いをして、それを素の自分で真正面から受け止める経験でもしない限り、なかなか自分で自分のことは分からないものでしょう。会社がその様な状況になっても打たれ強い経営者は、以前にも似た様な経験があると思います。


以前にも経験があるから耐えられるのではなく、その様な経験があるからこそ自らの志や意志を客観的に俯瞰することが出来るようになったと見るべきでしょう。私の失敗は、40歳代半ばに素の自分に嫌というほど向き合ってきて志や意志が明確に定まっていたにも拘わらず、運命の悪戯か自分の意志に反する事業に手を出してしまったことに尽きると思います。


もちろん、どの様な状況であっても事業を営む者として、全ての責任は自らがとらなければなりません。会社がその様な状況になりますと、全ての利害関係者の態度は一変して牙を向けてくると言っても、あながち間違いではありません。その様な状況の中で、逃げ出すことなく、さりとて深追いして攻めることも出来ず、一つずつ紐を解いて行く選択をしてます。


この時ほど責任に向き合ったことはないと思います。40代の出来事と比較しますと、それぞれ異なった意味で辛い思いをしましたが、社会との関わりの中で自分と向き合わざるを得なかったという意味では、社会の厳しさを身をもって知る経験だったと思います。この時の経験から、自分の意志と知見がオーバーラップする事業に傾注する様になったと思います。


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鎧を一気に脱ぎ去る!

皆さん、おはようございます!
日常では、わりとストレートな表現方法で会話をするように心掛けてます。婉曲な言い回しだと真意が伝わらないといけないと思うからです。でも、最近はTPOに応じて間接的な言葉で会話することも時として必要ですし、その様な大人の会話も楽しむようになってます。



これまでの人生の中で、なんとも言えない程もがき苦しんだことが2度あります。1度目は紆余曲折ありながらも昇りつめた?!サラリーマン生活に終止符を打ち、それまで身に纏ってきた鎧を一気に脱ぎ去った時です。もう1度は、営んでいた事業が上手くいかず自ら止める意志決定をしたときです。どちらも素の自分に迫る出来事でしたが今の糧となってます。


回顧録ではありませんが、今日と明日に分けて綴ってみたいと思います。本来、人間とは弱い動物で、誰しも人生の中で経験してきたことを踏まえありたい自分を模倣しながら生きているものだと思います。女性に比べて男性の方が、性差として虚勢を張るようにできていることから、その傾向が強いのではないでしょうか。人間の本当の強さとは何かを考えたい。


信用金庫を振り出しに大手化学メーカーを卒業する迄20年余り、ファイナンスという専門性を得ながらそれを活かし昇り詰めるべく順風満帆なサラリーマン人生を送ってこれたと思います。普通でしたら一つの会社の中で配置転換しながらポジションを高めていくのでしょうが、私は一つの専門を武器に会社を変えながらポジションを高めてきた経歴を持ちます。


どちらかと言えば、状況に流されることなく自分の目標に向かってマイペースに歩んで行くタイプと言えます。どちらが良いかは本旨ではないので触れませんが、謂わば自らジョブ型雇用??を選択して職業生活を送って来たとはいえ、サラリーマンであったことに変わりがありません。メンバーシップ型に比べれば愛社精神が普通よりも希薄であったと思います。


それにも拘わらず、サラリーマンという身に纏っていた鎧を下ろした時は、卵の殻から生まれたてのヒヨコの様に右も左も分からないウブな状況であったと思います。私の場合は、職人気質のようにして身に付けてきた専門性まで鎧と一緒に脱ぎ捨てたために、無重力のホワイトアウト状態に放り出されたような状況になり、心身的にも吐き気を模様したものです。


なぜ、その様な暴挙にでたかと言いますと、企業ファイナンスの世界で教科書に書いてあることを全てやり遂げた観があったこともありますが、心の叫びとでも言うのでしょか企業の経済的価値を最大限に高めるというファイナンスの目的に対して、何か違うと感じ始めたからです。自分の人生の目的を探す旅に出たいと、頭ではなく心が感じたからだと思います。


物事を考える軸を失いますと、人間というものは何をして良いのか分からなくなるもので、二日酔いで寝床から出れなくなる様な生活を結構、長い期間味わっています。新聞を見ても自分の興味のあるものが分からない流浪の旅です。それでも人間は肉体を持つ限りは生きていかなければなりません。何を食べても味がしない、それ以前に食欲まで湧いてきません。


40才半ばの大の大人ですが、赤ん坊が日々様々なことを吸収する様に自分探しという哲学が始まります。自分の生きる目的は何かと。そこで感じたことは、一番大切なのは家族であり、家族愛でしょう。その上で、自分を自分の為だけに捉えるのではなく、利他的な考え方になりますが、社会に対して自分がどう向き合うか、労力を費やして貢献していくかです。


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