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情報化社会の現状!

皆さん、おはようございます!
お正月三が日はいかがお過ごしでしたでしょうか。
天候にも恵まれ、こころ穏やかで健やかな日々だったのではないでしょうか。
お正月の余韻を残しつつ、今日から日常の生活へと戻って行きますね。


毎年恒例のお正月ではありますが、
日本人の場合、新年を迎えるというセレモニーとしての意味だけではなさそうですね。。
「一年の計は元旦にあり」と言われる通り、心機一転、これからの一年間の行いに備えて心身を整える三日間でもあり、一年で一番「神」に近付く時かもしれません。


初詣へ行ったり、親戚縁者が集い語らい、テレビで箱根駅伝を見たりと。。この三日間だけは、どこのご家庭もだいたい同じような行動パターンとなるのではないでしょうか。
中には海外でお正月を迎えられているご家庭もあろうかと思いますが、これだけ情報化社会と言われても、時代が変わっても変わらない本質の一つだと思います。


近所の深大寺に初詣に行きまして、例年に比べて参拝客が多いのではないかと感じました。特におみくじ売場は長蛇の列です。
人間というのは将来に対して「夢」を持つのと同時に、潜在意識の中では「不安」をも抱える存在だと思います。時代の端境期における不透明感がそうさせるのでしょうか。


企業セクターにおきましても、これだけゼロ金利政策により内部留保が積み上がっているにも関わらず、賃金が上がらず、設備投資も増えないのは、多分に経営者のマインドに将来に対する不安感、不透明感があるからだと思います。企業といえども、運営は人間が司っていますので、あたり前といえばあたり前の話しではありますが。


個人がグローバルに情報を発信し、受け取れる世の中に対して、いままでの工業化社会とは異なる未知のものを暗黙のうちに感じ取っているのでしょう。
情報化社会のあるべき姿が未だ見えない中で、生活者も、企業人も、今までの工業化社会のままではいけないことを感じ取り、思いあぐねているのかもしれません。



工業化社会では、今の時代のように情報を平等に授受することが出来ませんでした。
これは北側の某国の様に国策的に情報統制を行っているという意味ではなく、個人が受け取る情報が上から下方向への一対一の関係にあり、今の様に誰しもが一対多、多対一、多対多という様に情報を自由に授受する術がなかったということです。


情報を効率よく伝えて行くためには、企業のみならず、社会の仕組みがピラミッド型のリーダーを頂点とするヒエラルキー型の組織である必要がありました。
そうすると当然にその組織のリーダーに情報が集中し、そのリーダーの意思決定により企業なり社会が集団として行動をして行く訳です。


それが、情報が民主化されることにより、必ずしも密度の高い情報量を得ることがリーダーの既得権ではなくなっています。情報に格差がなくなっていることを改めて感じます。社会を率いるリーダー自身も未だ明確に認識している方は少なく、何かが今までとは違うと感じはじめているところではないでしょうか。


個人にしても、リーダーにしましても自らの行動の拠り所の基礎にあるのは、今はまだ過去の経験知や過去に作られた規則やルールです。人間と言いますのは、重要な意思決定をしなければいけない時こそ、何かの拠り所に照らし合わせて行動してしまうものです。
リーダーが心理的に揺らげば、当然に組織自体も揺らいでしまいます。


ところが、人類の長い道程の一通過点にしか過ぎない工業化社会の成功体験が余りにも強いため、情報化社会においても、今までの社会の仕組みを前提に物事を考えようとする所に問題がある様に思えます。今までの遣り方に寄り掛かろうとするから組織が不安定となり、それが個人の心理にまで助長して不安感を与えてしまう。


今の時代は、個人であっても、リーダーであっても受け取れる情報量に大差はないでしょう。ということは、トップは自らの判断について、堪えず周囲からのその真価が適切かどうか、周囲からの目に晒されることになります。逆にいえば、個人であってもリーダーと同じ情報で物事を判断できる立場にあるということになります。


これからの時代、情報の受領発信に優位な立場にある人間が組織を牽引して行く、これまでの社会のあり方ではなくなります。個々人の真にその道を極めた人たちが、その分野における社会を牽引して行くリーダーになるのでしょう。完全にフラットであり、誰しもがその分野のリーダーとなれ、そしてコミュニティが形成されます。


その意味で私も、これからの時代は「自分自身で歩く。」考え方が大切だと思います。
自分で受容して考え発信する、新たな未来を切り開いて行くことが必要です。過去の延長の中に未来はあるのですが、今回は情報革新という新たな社会への胎動ですので、過去の良きものは残し、変えるべきところは大胆に変えて行くべきなんでしょう。


その様な社会において物事を考える拠り所として、より良い豊かな暮らしを創造する視点が必要なんだと思います。いまの社会は企業主体の社会ですが、いま一度、原理原則に立ち返り、個人の立場から自らの「暮し」を見つめることが大切ではないでしょうか。
今日もご覧いただきまして、ありがとうございます。


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プロの本質!

皆さん、おはようございます!
お正月も三日目、天候にも恵まれて日中は暖かいですね。。如何お過ごしですか。
我が家は、毎年恒例の箱根駅伝を見てから、近所の深大寺に初詣です。
お屠蘇に深大寺そばを頂き、今年一年間の家内安全を祈願してきたところです。



お餅を頂きながら思った訳ではありませんが、「餅は餅屋」という言葉があります。
物事はその道の専門家に任せた方が諸事上手くいくという意味です。
以前、某流通グループで仕事をしていた時に、事業というのはその道のプロに意見を聞き任せることが上手くいくことを当時の会長から学びました。


プロというものは、単にその分野について学問として体系的に学んでいるだけではなく、あらゆる課題、問題に対して、経験として肌感覚で体得している強さがあります。
学問というのは、事象から導き出される現象を最大公約数的に標準化した概念であり、それ自体が対象分野の全てを語り尽くしている訳ではありません。


いまの社会では、表象的にある学問を修めたからその分野の専門家であると捉えられがちですが、実はその学問の専門家であるだけなんですね。
それがビジネスの分野であれば、学問というのは海上に現れている氷山の一角であり、水面下にはもっと大きな氷の塊が存在する訳です。


本来プロとは、その海上に現われている部分と水面下にある部分の両方を自分なりに理解し、物事を整理して捉えているものです。言い方を変えますと、学問上のある理論と理論の間にある行間を埋める部分をも理解することが大切であり、それを理解していないと理論だけで客体を論理展開しても、氷山全体を説明することが出来ません。


最近、感じますのは、企業運営の場とか、社員採用プロセスの場を見ていますと、この氷山の一角のみで物事を判断しようとする帰来があるように思えてなりません。
議論の為の議論とか、体裁だけで判断するということですが、それは企業として尤もらしく執るべきプロセスを踏んでいる様に見えますが、本質の的を射ているのでしょうか。


企業も組織が大きくなり、様々な立場の人間が集団で組織を運営して行こうとすると、様々な意見が出て来ます。個人的な意見で議論していたら纏まる話も纏まらなくなるので、論理的に概念形成しながらコンセンサスを取り、組織としての意見を収斂させていくのが、今日の社会における現実だと思います。


でも、誰もが理解できる概念と言いますのは、先ほどの氷山の話しと一緒で、氷山全てを語っている訳ではありませんので、どうしても形式的な議論に終始してしまいます。社員採用などを見ていましても、どこ其処の会社で企画業務に○年携わってきましたとか、どこ其処の大学で法律を学んできましたという様な形式に捉われている様に見えます。


集団内でコンセンサスを取るためには分かり易いのですが、そこだけを見て組織を運営する様になっては本質を見誤ると思えてなりません。
規則やルールがそうなっているから、その規則やルールに従っていれば良いかというと、そんなことはありませんよね。時代とともに規則やルールは変わって行くものですから。


最近の大手企業の不祥事は、この様な観点から生じている様に思いますが、これも企業が肥大化してしまったが故の「規模の不経済」と言えると思います。
創業経営者でしたら、言葉にし難い自らの野生の経験を含んだ知見で会社を経営していますが、生え抜きのプロパー経営者は組織力学的にバランスを優先させざるを得ません。


人間としては止むを得ない行動だと思います。時代が単調に右肩上がりの時にはそれも良いのですが、これからは過去の経験では語れない、だれしも経験したことがない情報革命および人生100年の価値観への変容という未曽有の時代を迎えます。その様な時代に、過去の概念で将来を語ることには、そもそも無理があると思います。


その様なことを繰り返しているうちは、いまの企業は変革には覚束ないと思います。むしろ情報化社会というスピードの速い時代の方がどんどん先に行ってしまいます。
その様な時代だからこそ、物事の本質を理解した職人はだしのプロを重用すべきなんだと思います。時代が変わっても、変わらぬ本質を理解して物事を判断できるプロです。


変わらぬ本質とは人間の心理です。今の社会はコミュニティによって成り立っています。どの様な専門分野でも、人との関わりを抜きにその道を納めることは出来ません。難しいのは、形式優先社会の中でその様な職人はだしの声というのはスポイルされやすいということです。自分にとって最も効果的な表現方法を知ることも大切だと思います。


それは芸術家に通ずるものがあるかもしれません。芸術家とは社会を風刺してアートという方法で自らの考え方を世に表現して行く存在です。
彼らが自らの考え方を言語で世に問うたら、なかなか受け入れてもらうことは難しいでしょう。言語だけで自らを全て語り尽くすのが難しいからアートとして表現するのです。


私は、この社会に生きる個人個人皆がアーチストとしての側面を持っていると思います。
自らの暮しを豊かでより良いものにして行くための創作活動が大切な時代なのではないでしょうか。仕事も暮しの大切な一部分です。その仕事を暮らしと隔てることなく、より良い暮らしを創造することに尽きると思います。


今日もご覧いただきましてありがとうございます。
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平成維新です!

皆さん、おはようございます!
2018年元旦はいかがお過ごしでしたでしょうか。。
天気にも恵まれ、初日の出をご覧になられた方も多いのではないでしょうか。
我が家は、毎年恒例の実家への年始の挨拶ではじまりました。


平成維新。数十年後に歴史を振り返った時に、その様に教科書に綴られるのではないでしょうか。情報技術が、それまでの明治維新後に培ってきた蒸気機関の発明に端を発する工業化による中央集権システムを地域分散システムへと変革させ、企業に終身雇用される古き働き方から個人個人が事業者として協業する働き方へと変容させた、と。


そして100年という最長の寿命を誇る日本は世界から注目されるようになります。
いまこの世の中にある哲学、教義、慣習といった社会の仕組みを形づくっている前提は、人生が50~60年だった当時の方々が考え出したものです。仮に、その当時に寿命が100年であったとしたら、いまの世の中はもっと異なったものになっていたはずです。



明治維新は、世界の列強諸国が産業化により国力を高めて行く中で、鎖国と全国の諸大名を参勤交代により治世を納める、中央集権と地域分散というバランスのとれた政治構造によって維持されてきた江戸時代に限界が訪れた歴史の事実です。江戸幕府300年の安定した東アジアの島国社会に産業革命が情報として伝播し、世の中を動かしたのです。


日本も近代化して行かないと、諸外国に対して後れをとってしまうと一部の有識者の危機感が幕末を迎えさせ、富国強兵という新しい世の中の概念を形成して行ったものと思います。それまでの安定した社会の常識を覆すエネルギーは凄まじいものがあると思いますが、それを成し遂げたのもまた人であった訳です。


いまの日本は民主主義ですから、各人が思い思いの主義主張で自己表現して行くことが可能です。幕末のように隠密な政治的動き方をしなくとも、個々人がビジネスを通して表現することも、それこそSNSを活用して言論の自由を享受することも可能です。情報化社会がいとも容易く世の中を変容させる力を持っている様に思います。


日本は敗戦のモノがない時代を経験していますから、長らく工業化社会の成功体験を謳歌してこれたものと思います。それだけ安定した産業構造が日本という国を支えてきた訳です。規模の経済を追求した産業構造の完成度は世界にも誇れるのではないでしょうか。
ところが、世界を見渡すと、どうも工業化社会は終焉を迎えている様に思えます。


製造業が無くなる訳ではありませんが、それ以上に情報技術の進展とともに情報産業が興隆していることに疑う余地がありません。物質的な豊かさを実現した世の中ですから、人間が次に向かうのは精神的な豊かさであることも事実であり、自らの暮らしやライフスタイルを大切にする様になります。人生が100年になれば尚更ですよね。


その様な社会では、単にモノの機能性や効率性だけではなく、モノと自分の関係において何らかの意味が伴っている必要があります。感性消費という方もいらっしゃいます。
そうなると今までの製造業の様に、ある製品を大量に造り続けるというシステムが通用しなくなります。多品種少量生産をしなければなりません。


それを実現するためには、情報技術に頼るざるを得なくなります。大きな工場で大量に製造することが必ずしも効率の良いことではなくなります(=規模の不経済)。
極論ですが、モノの意味性をきちんと消費者に伝えられれば、むしろ中小製造業の方が生産規模という観点ではこれからの時代に適しているとも言える訳です。


その時、中小企業は必ずしも情報化が進んでいる訳ではありませんので、この点を改善してもっと積極的に情報発信を行えれば、直接消費者に受け入れられる様になると思います。中小企業の方が生産者のモノに込めた思いを伝えやすいので、消費者としてもコトに対する意味を理解しやすいからです。


平成維新は、明治維新と異なり歴史上の著名な登場人物が社会を動かすというよりも、皆の総意として、少しずつ世の中を動かして行くものと思います。それを実現する媒体が情報技術でもあります。暮らしの中で思う、世の中にある常識の不思議を不思議と思い、それを情報として発信するだけで世の中は変わるのではないでしょうか。


同じ考え方を持つ人々のコミュニティが形成され、やがてそれが社会の常識となって行くものと思います。その常識も、その個人の置かれた地域によっても変わって来ますので、その意味では地域ごとの多様性を認め合わなければなりません。いま世界で起きている地域問題というのは、その様な一端を示すものであると思います。


人間の価値観を一つの方向に向かわせるのは、情報が閉鎖された社会において為し得るものであり、これだけ情報がオープンな世の中では多様な価値観があって不思議なことはありません。その様な中でも、人間として変わらない本質があることにも留意が必要だと思います。これが平成維新の全容だと思います。


より良い社会を創造していくためには、個人個人がより良い豊かな暮らしを創造することであると、つくづく思います。それは物質的な欲求ではなく、精神的な欲求を満たすものでしょう。今日もご覧いただきまして、ありがとうございます!
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