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もう一つの湘南!

皆さん、おはようございます!
行く先々で、その街固有の独特の顔というものに出会い飽きさせません。
とても洗練された近代的な街も良いですが、やはり魅力的なのはその地域に生き付いている人々の暮しが時間とともに地域との相互作用の中で街に溶け込んでいる姿でしょう。



先日、湘南へ行って来ました。湘南とは言いましても、大磯と二宮です。
大磯は、明治150年を記念して、時の内閣総理大臣を務めた伊藤博文、西園寺公望、大隈重信、陸奥宗光らの私邸が存在した場所です。今回、その歴史的建造物の一般公開により内覧する機会があり足を運んだ次第です。


大磯といいますと、大磯プリンスホテルがあることは知っていたのですが、正直になぜ大磯にホテルを建てたのか、それら歴史的建造物の存在を知り謎が解けました。
1872(=明治5)年に新橋から横浜間の日本初の鉄道が開業(=その後、間もなく平塚まで延伸)し、大磯の利便性が急に高まっています。


また、大磯という地のロケーションが海岸から続く小高い丘陵に位置し、温暖で海を見下ろすことのできる絶妙な借景となっていることです。明治維新以降の急激な近代化により、政府の要職に就いていた閣僚たちがこぞってこの大磯に移り住んできた歴史があるようです。



その時の数寄屋造りの建物が今でもその時のまま存在(=関東大震災により伊藤博文邸と陸奥宗光邸は再築)しているというので驚きます。どの建物も、海に面して日本庭園と大きな居間を構えており、そこで寛いでいる主(=あるじ)の姿を思い浮かべてみました。歴史を動かした重鎮たちの思いはどこを見つめていたのでしょうか。


建物の正面は、国道1号線に面しており樹齢数百年と思われる街路樹が沿道を飾っています。余談ですが、正月の箱根駅伝で良く見かけるアングルです。この一角のみが、閑静な佇まいとなっています。それら歴史的人物没後は、これらのお屋敷は古川財閥の創業者である古河市兵衛の手に渡ったようです。


古河市兵衛の娘が大隈重信の子息のもとへ嫁いだ因縁があってのことだと思います。現在も古河グループが建物を所有しているようです(=国の重要文化財への指定の動きがあります)。伊藤博文邸だけは時の西武グループ総帥堤康次郎が取得し、現在も西武グループが所有しているとのことでした。



大磯から足を伸ばし、隣り町の二宮に立ち寄って来ました。
お目当ては隠れたベーカリー「ブーランジェリー・ヤマシタ」です。大磯や小田原から挟まれたこの二宮には何も観光資源がなく、昭和を彷彿させる様な昔ながらの街並みが二宮駅から続いています。


旧道を歩くこと10分位でしょうか、突如として古民家を再生した洋風の白壁のお店が現れます。パンを焼くあの甘い芳ばしい香りが漂いはじめ、直ぐにそれだと分かります。
小さなお店には、ところ狭しと焼きたてのパンが30種類くらい並んでいます。何種類かを選んでカフェで食べてみましたが、人気店であることが直ぐに気付きます。


日々使う酵母は店主の思いでの地であるデンマークの友人から譲って貰ったリンゴを使用している以外、余計な添加物をできるだけ入れずシンプルに粉、水、塩、酵母だけを原材料として焼きあげているそうです。このベーカリーの店主は、高校卒業後、デンマークに渡り語学留学をしていた経験を持つそうです。



デンマークでベーカリーの修行をしていたのかと思いきや、日本に戻って来てからは語学力を活かして高級家具を輸入販売する会社で10年ほど会社員をしていたそうです。
その様な折に知人からの忠告もあり、1年間自分探しをして思い付いた先が、何かものづくりに関わること。子供の元気な食べる姿を見てベーカリーを思い付いたそうです。


2年半に渡る修行生活(=ご本人曰く、アルバイトと仰っています)を経て、この「ブーランジェリー・ヤマシタ」を開業したそうです。パンの芳ばしい味わいからしますと、2年半の修行生活が謙遜に聞こえますが、その独自の味は一度は食べてみる価値があると思います。地元の方ばかりでなく、遠方からもクルマで来店されるお客様が多いようです。


地域の人々が営む数だけドラマがあり、それらが時空間を越えて複雑に絡み合いながら街の姿を醸し出しています。私たちは、日頃忙しさのあまり、それらを見過ごしてしまいがちですが、偶にはそれらの営みに視線を合わせてみることも必要でしょう。
地域は文化を育むプラットフォームであることを忘れずに。


今日もありがとうございます!
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