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生業(なりわい)のススメ!

皆さん、おはようございます!
今日は、信州は松本で朝を迎えております。
東京よりも涼しいかと思いきや、日中は36度を越える気温に驚きました。
それでも心なしか、時折流れる清らかな微風に助けられる思いです。



大正9年の国勢調査で国民から申告された職業は約3万5千種あったそうです。
それが、最近の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、それがいまや2167職種にまで減少していることを知りました。わずか100年足らずの期間に10分の1以下までに減少していることは何を意味するのでしょうか。


日本の全労働者6600万人のうち一部上場企業に勤める労働者800万人の割合は12%に登るそうです。中小企業まで含めた企業数が約400万社あり、その内の一部上場企業が0.3%であることを勘案しますと、上場する大手企業に働く労働者の割合が非常に多く偏っていることが分かります。


大正から現在に至る歴史上の大きな転換点は、やはり第二次世界大戦とその後のモノの不足する時代を経た日本経済の復興政策でしょう。米国から導入された近代経営を日本の企業は模倣し、官主導の護送船団方式により育成すべき産業を絞り込み、規模の経済を追求しながら大量生産大量消費型の経済を実現したことになります。


戦前までは、中小企業や個人事業者による生業(=なりわい)を中心として経済が成り立っていた為、事業者の数ほどの多岐にわたる職種が存在していたものと考えられます。戦後になり、企業は急速に拡大の一途を辿りますが、規模の経済を追求する為に事業を標準化して、企業として効率性を目指すことになります。


その結果、職種も機能ごとに標準化され、どの企業組織も似たり寄ったりの職種で構成さらたヒエラルキーで成り立っています。そして、いまや大手企業で働く為の画一的な教育システムにより、転職する場合にも似通った標準化された職能を競わされているという具合になっています。


戦前までの生業に近い仕事では、生活と仕事が一体化しており、生活の知恵を仕事に活かしたり、自らちょっとした特技を仕事に活かすという密接な関係にあったと思います。ところが、現代では、仕事と生活が完全に分断されており、会社は糧を得る場所であり、そこで得た糧で生活を楽しむという具合になっています。


でも、良くよく考えてみれば、その様に仕事と生活が分断されて来たのは、この100年足らずのことであり、必ずしも恒常的なものではなく、一過性のものと考えることも出来ます。本来、人間が持つ本能として、仕事と生活がシームレス(=分断のない連続性)であるべきではないでしょうか。


暑い中、汗を拭きふき通勤電車で自宅と会社を往復し、それだけでも体力を消耗しているのに、会社での勤務は歯車として効率性を絶えず求められてしまいます。ストレスを溜めながら身を粉にして働き、精神的に追い詰められるのが、現代の会社という枠組みでないでしょうか。多くの人が、そうやって働いているので、そこに疑問の持ちようがない。


生活が成り立つか否か一旦棚上げにして、自らが生業を営むことを考えますと、自らが得意とする出来ることを生かして、それで糧を得ることが出来たら、同じ仕事の大変さでも、仕事に対する思い入れが異なるでしょうし、仕事を終えた後の充実感が異なるでしょう。自己の裁量で仕事が出来たら、様々なアイディアが浮かんでくるでしょう。


振りかえってみれば、自らの生業を大きくするかは別として、松下幸之助や本田宗一郎だって、そうやって生業から事業をスタートさせた歴史があるのではないでしょうか。
いま、日本の経済において、スタートアップベンチャーが少ないと言われています。スタートアップしても、最初から組織を持ち込もうとするとリスクも高まります。


本来は、自然体で生業から営みをスタートさせて、幾つかの生業を進めて行くうちに、幹が太くなる生業が見い出せるものと思います。最初からビジネスとして構えるのではなく、自らの知人縁者を相手に自らが出来ることを提供して行くうちに、生業として育って行く、そんな身の丈から生じて来るものだと思います。


デジタル化社会において、大手企業ですら消費者との直接的なつながりが不可欠な時代で、シェア経済やサブスプリクションで形容されます。それを実現する為には、全てを自前主義で達成することは難しい社会です。企業と従業員との関係も変わらざるを得ません。大切なのは、あるべき姿を思い描き一歩を踏み出すことでしょう。


今日もありがとうございます!
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